寂しい出迎えの中、侍ジャパンが胸を張って日本に帰ってきた。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の準決勝で敗退し3連覇を逃した日本代表チームが19日、帰国した。到着口で待ち受けたファンは過去2大会の約10分の1となる約100人。それでも、山本浩二監督(66)は「いろんな経験をさせてもらった。精いっぱい戦ったことには満足感がある。悔いはない」と、穏やかな表情で大会を振り返った。

 米サンフランシスコ発のチャーター機を降りると、寂しい光景が待っていた。午後5時すぎ、成田空港の到着口で出迎えたファンは100人。過去2回の優勝時に比べると約10分の1にすぎなかった。それでも、失意の侍ジャパンに注がれる視線は温かかった。携帯電話を向けて写真を撮ろうとする人や、拍手をする人の中から、声が飛んだ。「お疲れさま~」「お帰りなさ~い」。日本中が期待していた3連覇に手が届かなかった。罵声を浴びることも覚悟していた山本監督は「ありがたい。(知人からもらう)メールも『よく頑張った』という内容が多い」と感謝した。

 7年のブランクの影響か。その采配には批判もあった。プエルトリコとの準決勝。3点を追う8回、1点を返してなおも1死一、二塁の場面で出したダブルスチールのサインは裏目に出た。「行けたら行け」という選手任せの采配。心中する覚悟を決めたはずの4番阿部の打席で、ベンチは動くべきではなかった、との声も届いた。しかし、山本監督は「ダブルスチールはデータから100%成功するという裏付けがあることが大事。行けると踏んでのサインだった。結果は悪かったが、悔いはありません」と、振り返った。

 昨秋、NPB(日本野球機構)の不手際もあり、監督選びは迷走。誰もが敬遠し「貧乏くじ」とまでささやかれた侍ジャパンの監督。火中のクリを拾ったのが山本監督だった。現役監督が務めた過去2回のように、順風満帆にいかないことは分かっていた。日の丸のユニホームをまとい、総大将としてチームを率いる重圧も想像以上だった。

 山本監督は「この半年間は、大変だったし、しんどかった。明日から入院してるかも」と、苦笑い。その上で「いろいろな意味で、いい経験をさせてもらった。特に2次ラウンド以降はチームが1つになったと感じた。大きなケガ人もなく(所属チームへ)返せることに、何よりひと安心している」と、思いをはき出した。

 侍ジャパンの監督としての活動はこの日で一区切りついた。当面は解説者として、選手たちの成長を見守る。24日の巨人-楽天戦(東京ドーム)のテレビ解説の仕事が入っているという。今後は監督としてではなく、ソフトバンク王会長や原監督のようにアドバイザー的な役割で侍ジャパンを見守っていく。すべてやり切った。山本監督は「もうすぐシーズンが始まる。彼らを応援していきたい」と、穏やかな笑みを浮かべた。【広瀬雷太】