Jリーグが30周年を迎え、格闘技の世界では那須川天心選手と武尊選手の東京ドーム決戦が話題になっている。先月行われた村田諒太選手とゴロフキン選手の試合では、その戦いに多くの感動が生まれ、試合後のゴロフキン選手の対応にも賛辞が送られた。

この試合のファイトマネーはゴロフキン選手が15億円で村田選手が5億円、2人合わせて20億円のお金が動いたとも言われている。一夜にしてこれだけのお金が動くスポーツはそう多くはない。それだけ世界中が注目した試合だったのも金額を見るだけでよくわかる。

そんな現代は、全ての価値基準が金銭的価値基準で動いている。フォロワー数やいいねの数も、結果的にはお金に換算されて価値となっていく。そんな世の中で、アスリートが持つべき価値基準に警鐘を鳴らしたい。

僕はJリーガーを目指す上で年俸を放棄した。1年目は年俸10円で、2年目、3年目は年俸120円だった。挑戦の場を格闘技界に変えてもファイトマネーで稼ぐというつもりは全くない。

あらかじめ伝えておくが、決して金銭的価値観を否定しているわけではない。物事を判断する際の参考にしてもらえたらうれしい。世の中はありとあらゆるモノやコトやヒトであふれている。金銭的価値基準以外の本当の価値を見定めることがこれからのアスリートには必要で、それがそのままセカンドキャリアにも直結すると僕は考えている。

アスリートのセカンドキャリアがここ数年ずっと問題になっているが、その根底にあるのが、ほとんどのアスリートが金銭的価値基準で物事を判断していることにあると僕は思う。先に述べたように、那須川天心選手や武尊選手のようにファイトマネーがそれなりに出るのであればそれを価値と考えるのはわかる。村田選手の5億円も、その価値に夢があると思う。

しかし、Jリーガーでこんな年俸をもらえる日本人は存在しない。しかも多くの選手が夢と言えるような金額がもらえるわけではない。それなのに何故かアスリートからは金銭的価値基準が抜けない。お金という物差し以外に価値を示す基準がないという現実とちゃんと向き合うべきだと思う。

現代は、せっかく持つことができた価値基準が全てお金に換算される時代だ。例えば、知り合いのサッカー選手に、年俸なしでJ1でプレーできるのと、年俸480万円でJ3でプレーすることの選択を迫られた場合、どちらを選ぶのかと質問したことがある。多くの選手が理想は年俸なしでJ1だと答える。しかし、現実的にはJ3だという選手が多かった。

では質問を少し変えて、年俸は0円だが勝利給はあるJ1と年俸480万円のJ3だった場合、どちらを選ぶか。答えはそれぞれの中にしかないと思うが、金銭的価値基準以外の価値基準が人生を生き抜く上での判断基準となる。

J3の選手はバイトをしながらプレーしている選手がいまだに一定数いる。そうなると現代ではバイトが本業となり、サッカーは趣味の位置づけになる。しかし、それは金銭的価値基準でしか物事を見ていないからだろう。

バイトが楽しくて自分の好きなことであれば、実はものすごい幸せなことではないだろうか。一般的には趣味という位置付けになるサッカーだが、その舞台はJリーグである。年俸数百万円で試合に出たり出なかったりの選手と、自分の好きなことをバイトにしてなおかつサッカーをやっている選手。どちらが幸せかは誰にも問えない。

だからこそ金銭的価値基準以外の価値基準が必要になるのではないか。ピカソの絵やゴッホの絵が素晴らしいと思うのは破格の額が絵についているからではないか。自分の中で価値基準があれば、誰もが評価しないような絵画をいいと思えることがある。それを家に飾るだけで幸せに思えることがある。そこには、お金や経済という視点ではない価値が存在するのではないだろうか。

大事なのは大学に受かるための知識でも、乗っている車や、住んでいる家でもない。自分がそのモノやコトやヒトを判断する際に必要な基準を身につけることが大事なのだ。

Jリーグが30周年を迎え、格闘界は世紀の大一番を迎える。その業界の中にいる人間としても、新たな価値基準が必要だと感じている。肉体を使い、精神をすり減らし、獲得できる賞金はそこまで多くない。しかし、金銭的価値基準や経済的価値基準の中だけで生きていれば、その舞台を降りるときにちゅうちょしてしまう人もいるだろう。

好きで始めたことが得意なこととなり、気がつけば金銭的にも精神的にも追い込まれることになる。その先に残るものは一体何なのか。価値基準を作り直すことで、とらわれてしまった呪縛から逃れ、本当に自分にとって大事なことを見つけられるかもしれない。

かつて、僕は物欲の塊だった。しかし、金銭的価値基準を無くして自分なりに価値基準を育てたことで、物欲はなくなり、物事の判断基準が大きく変わった。そこには幸せの概念も含まれている。

僕はお金が必要ないと言っているのではない。全ての価値基準がお金に換算されているその価値を変えるべきではないかと言っているのだ。アスリートは本気になってやり切って勝ち抜いた人たちの集団だ。だからこそ、その努力を無駄にしてほしくない。

Jリーガーになるのは東大に受かるより難しいと僕は思っている。その努力の価値を自分なりに変換できれば、自分の哲学を持てると思う。努力を言語化し、本気を言語化し、そこに備わっている価値を自分の基準にしてほしいと思う。

世界は思いもよらない方向へとかじを取り始めている。僕らができることは見て見ぬふりをせず、わが子や孫、ひ孫の代に今と同じ平和を残すことだと思う。もちろん今を全力で生きて、幸せや喜びを感じることはとても大事だ。そこに少しでもいいから、金銭的価値基準以外の基準を作り、自分の人生の幸福の幅を広げてもらいたい。それが人を感動させる人間になるということなんだと思う。

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。同年12月には初の著書「おっさんJリーガーが年俸120円でも最高に幸福なわけ」(小学館)を出版。オンラインサロン「Team ABIKO」も開設。21年4月にアマチュア格闘技イベント「EXECUTIVE FIGHT 武士道」で格闘家デビューし、同大会4連勝中。22年2月16日にRISEでプロデビューし、初勝利を挙げた。175センチ、74キロ。

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「元年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)