先日、ツイッターでこんな投稿をした。

「娘と息子と公園へ。4月から始めたサッカーが少し上達した息子。無邪気に遊びたい娘はサッカーが嫌いw そんな娘が一言「パパに会いたい、アビさんより会いたい」と。心折れそうになるかと思いきや、そりゃそうだよなって思った自分にビックリ笑。いつか言ってくれるかな、アビさんがパパでよかったって」

僕の中では娘の素直な気持ちがうれしかったのと同時に、実父に会いたいという気持ちは「当然」だよな、と素直に思えた自分にビックリした。ステップファミリーになったばかりだけど、毎日一緒にご飯を食べて、宿題をやって、お人形さんで遊んで、公園に行って、お風呂上がりの髪の毛を乾かして、耳掃除をする…。そんな毎日を送っているからこそ、僕の中で娘の想いに「そりゃそうだ」と思えたことにビックリしたわけだ。

少しは傷ついたり寂しくなるかなと思ったけど、そういう気持ちより真っ先に「当然」と思えたこと、それは娘の気持ちが痛いほどわかったからだと思う。

しかし、ツイッターは荒れに荒れた。ある女性は僕の投稿を引用し「実父と会いたい児童の意思に対し『ビックリ笑』だって…。皆様見てください」と自分のフォロワーに晒したのだ。

これにより、彼女の投稿に同調する人たちからのコメントとリツイートが一気に繰り返された。僕には正直よく理解のできないプチ炎上だった。

僕はこの女性が言うような解釈でこの文章を書いたわけではなかった。しかし、彼女の投稿に便乗したようにたくさんの批判をいただいた。自分の置かれた立場で事実を湾曲し、自らの心もゆがめている。ゆがんだ社会を生み出している原因はここにあるのだと強く感じた出来事だった。

僕は今、妻と息子と娘のためだけに生きている。僕が見せるべき姿は「カッコいい父親」だ。妻にとっては「カッコいい旦那」である必要がある。彼らが僕の背中をみて、将来こうなりたいと思える生き様を見せられるかどうか。

僕は息子と娘の実の父親ではない。これから先もきっと父親になれることはないと思う。ただ、僕自身が2人に対して息子と娘だと思って接することは誰の許可もいらない。彼らが一生僕を「あびさん」だと思っても、僕は彼らをずっと「息子と娘」だと思って育て切る。子育てを語れるほど何も成長はしていないが、人と人が生活する上で大事なのは人間と人間の摩擦。

本当の家族だって一緒に住めばもめるし嫌気もさす。

僕も何度、母から「出ていけ」と言われたことか(笑い)。

僕が大事にしているのは、今目の前のこともそうだがそれが5年先10年先でどんな大人を生み出すのかという視点。息子は受験生。僕が関わってこれなかった数年間、いろいろなことがあり、足りないところもたくさんある。しかし、それを今、躍起になってどうのこうの言ったところで意味がないことがわかった。

彼の5年後10年後を見据えて、今、何をすべきなのか、何から始めるべきなのか。何を耐え抜いて、何に集中するべきなのか。本当に大事なことを伝え続けられるかどうか。

僕はまともに受験をしていない。ここで言う「まとも」というのは、偏差値ではない基準をもって本当にやりたいことのために高校を選べたかと言う意味だ。僕はサッカーがしたかったが、行きたい学校にはいけず結局偏差値通りのヤンキー校へ進学することになった。

そのおかげでブラジルにも行けて今があるのだが、自分の息子に同じことを勧められるかと言うとそれは違う。何故ならこの挑戦は今のところ再現性がないからだ。僕が心苦しいのは、受験生である息子に受験とはなんぞやをちゃんと伝えてあげられないこと。まともに受験をしてないしっぺ返しがここにきて訪れた。

だから今は自分にできることをやろうと思う。最近は中学生にも将来やりたいことを問う学校が多い。しかし、中学生には現実味がない。これが貧しい国だとはっきりしてくるのだろうが日本は平和で今のところ貧しい国ではない。そんな中で自分のやりたいことを明確にするのは至難の業だ。

だから僕は、過去何をしてきたか、どんなことが楽しかったか、どんな言葉が心に残っているか、そうやって過去から学んだことは何かを問い、考えてもらう。そして、現在自分は何をしているのかを徹底的に分析をする。そこから未来を想像して自分がどんな人間になりたいかに想いを巡らせる。

過去には膨大な情報があり、それはすべて一次情報であり、全て自分ごとだ。たった15年間だとしても、そこには学べる時間がある。15歳にどうなるかわからない未来を考えさせてもすぐには答えは出ない。ならば過去を探り、今を分析することに時間をかけて、想像力の源である原体験を潜在意識から顕在意識へと導くべきだろう。

先日、息子とバルセロナ-ヴィッセル神戸の試合を観に行った。1枚3万5000円もするチケットを買ったのは初めてだ。これを高いと思うか、安いと思うか、それはそこにどんな意味を持っているかで決まる。スペインまで観に行こうと思えば、3万5000円じゃ日本からも出ることはできない(笑い)。その時点でもう安いのだけれども、15歳と言う年齢に本物を体験させることができたことが最も重要な気がする。 制度が信頼関係を上回ることはできない。どんな制度も2人の信頼関係があってこそ意味をなす。だから僕はコミュニケーションを欠かさない。そして生き様を見せ、非言語でもコミュニケーションを取っていく。

今、僕の足元で娘が「早く髪の毛乾かせよ」の顔をして僕を見ている。これもノンバーバルの力なのか…(笑い)。これ以上、コラムを書いていると娘に嫌われそうなので、今回はここまでにする。それではまた。

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。21年4月にアマチュア格闘技イベント「EXECUTIVE FIGHT 武士道」で格闘家デビュー。プロとしては22年2月16日にRISEでデビューを果たした。プロ格闘家としては通算2勝1分け1敗。175センチ

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「元年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)

「EXECUTIVE FIGHT 武士道」の前日会見に出席した安彦考真
「EXECUTIVE FIGHT 武士道」の前日会見に出席した安彦考真