12年夏場所の旭天鵬以来となる、栃ノ心の平幕優勝で幕を閉じた初場所。自慢の怪力を武器に初日から千秋楽まで好調を維持して、14勝1敗と大勝。安定感のある相撲に記者は連日、「もしかしたら」の思いが強まっていった。しかし1敗を喫した7日目。「もしかしたら」の対象は、栃ノ心に土を付けた横綱鶴竜(32=井筒)に変わった。

 4場所連続休場中の鶴竜は、初日から10日目まで白星を並べて単独首位に立っていた。横綱白鵬、稀勢の里が途中休場して、“1人横綱”で臨んでいた分、力も入っていた。そして何より、師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)が次に出場する場所で進退を懸けることを明言していたからこそ、さらにやる気に満ちあふれていた。しかし、11日目に初黒星を喫すると、ずるずると4連敗…。支度部屋でもネガティブな発言が目立った。

 敗因はどこにあったのか。2連敗を喫した翌日の13日目に、いつもは多くを語らない井筒親方が、こう分析した。

 「序盤はスピードもあったし反応も早かった。疲れのピークじゃないですかね。引いてね。下がった時はダメ。攻めてる時はいいんだけど。ちょっと疲れたり、負けたりすると悪いクセが出る。10連勝したことで余計なことを『もしかしたら』と考えたかもしれない。とりあえず2桁勝てて、背水の陣の場所でどこかで安心したかもしれない。安心感と優勝したい気持ちが矛盾したと思う。勝ち急いだと思う」。

 そしてぽつりと

「私自身も安心しましたね」。

 弟子の背水の陣の場所に、師匠も大きなプレッシャーを背負っていた。

 油断して負けた、気持ちが切れて負けたと言えばそうかもしれないが、実は左足首が限界を感じていた。昨年の1月ごろから疲労がたまると軟骨同士がぶつかって痛みが出ていたといい、毎場所後半は衝撃緩和のためにヒアルロン酸を打って土俵に上がっていたという。初場所も中盤からやはり痛みが出ていて、朝稽古を休み整体で治療を行うなどして、昨年春場所以来に15日間を完走した。

 そして場所後には、左足首の遊離軟骨を除去するために内視鏡手術を受けた。春場所(3月11日初日、エディオンアリーナ大阪)は出場できるのか、と思ったが「(春場所に)間に合わせるために早めにやった」と前向きだった。次こそは、賜杯を抱けるだろうか。【佐々木隆史】