王者木村翔(29=青木)が挑戦者で元世界王者の五十嵐俊幸(33=帝拳)を9回2分34秒TKOで下して初防衛を果たした。驚異的なスタミナを支えに、休むことなく攻め続けた。7月に敵地中国で五輪2連覇の鄒市明を下して手にしたベルトを、凱旋(がいせん)試合で守りきり、戦績を16勝(9KO)1敗2分けとした。

 振る、振る、振る。木村はどこまでも愚直に黄色いグローブをぶん回した。「昭和のボクシング。1発もらったら2発返すしかできない」。五十嵐からの被弾を恐れずに空振りも気にしない。初回からの武骨な戦いの最後は9回。相手をコーナーに追い詰め、15発以上の連打で顔面をはね上げた。「全然疲れてない」と終盤も衰え知らずのスタミナでレフェリーストップ。「力が試される試合だった。勝ててホッとした」と声を弾ませた。

 絶対の自信を持つ体力こそ、覚悟の証しだ。中3で「強くなりたい」と競技を始めたが、「飽きやすく、集中力がなかった」。一番の苦手は単調なロードワーク。本庄北高では最後尾でタラタラが常で、当時通った熊谷コサカジムの小坂会長は「センスは抜群。コツコツが苦手」と述懐する。

 一変したのは高2で競技を離れた後、再びグローブをはめた23歳から。母真由美さん(享年44)を亡くし、「本当にやりたいことを」と覚悟を固め「遊んでいた」生活を卒業した。「最初は2分持たない。本当にしんどかった」。都内の青木ジムに移るまでの約1年間、日本一暑い熊谷の荒川河川敷で滝のような汗を流した。移籍後も、女子2階級制覇の小関の12回連続ミット打ちなどに刺激を受け同じ猛練習。他ジムにはない特訓で、地道にコツコツ。そうして無類のスタミナは生まれた。

 いまでも家賃5万円の5畳間に住む。週6日の酒の配送業も続けている。「ハングリーでいかないと。もっと貪欲に」。小坂会長からも「中国で勝っても誰も知らないぞ。ここで勝って有名になれ」とハッパを掛けられていた。勝利のリングでは中継局TBS番組内の名物、赤坂マラソンに出たいと無邪気だった。

 猛攻でインパクトは残した。「引っ越しと、1月は練習バックれて遊びます。メリハリは大事!」と笑う“昭和”の男が、18年もブンブンとリングで暴れる。【阿部健吾】