力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られる伝説の覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが7日(日本時間8日)、亡くなりました。享年88歳。日刊スポーツでは、デストロイヤーさんが現役引退した93年7月に連載を掲載しています。今回追悼をかねて復刻版として再掲載します(年齢などは当時のまま)。

 

「白覆面の魔王」ザ・デストロイヤー(61)が、29日の全日本プロレス日本武道館大会を最後に現役を引退する。1954年にデビューして実に39年に及ぶ現役生活。2日、東京・後楽園ホールで開幕した引退シリーズでは新人の大森隆男(23)と対戦、自慢の足4の字固めで下した。28日の横浜大会では実息カート・ベイヤー(32)との初親子タッグも決定している。シリーズ中に62歳の誕生日を迎えるデストロイヤーは、足4の字固めとともに、永久にプロレス界に名前をとどめる。

本家デストロイヤーの足4の字固めが大森の両足をとらえた。思わず沸き起こる拍手にマスクの奥でにんまりだ。1963年(昭38)5月の初来日時に力道山を苦しめて以来のオリジナル技は61歳の今になってもさび付いていない。大森がたまらずギブアップすると、足を気遣う余裕のポーズだ。足4の字固めと白いマスクで築き上げたプロレス人生が、全日本プロレスのサマーアクション・シリーズで幕を閉じる。

引退理由は、時期がきたから、という判断からだった。これに「最高のコンディションをつくるのも、保つのも難しくなった」という現実が加わった。60歳を超えてプロレスを続けることは、世界中で一番激しいプロレススタイルの日本では、難しいことだ。

日本では最も知名度のある外国人選手ということで、全日本プロレスは「引退シリーズ」を用意した。ところが本人は、リングを去ることへの悲しみなどみじんも見せない。「そんなにまじめに、考えてないんだよ」と柔和な灰色のひとみを見開いて、淡々と語る。そして「シリーズ参加はこれが最後だけど、チャンスがあればまたリングに上がってみたい」と、現役への未練も残っている。レスリング一筋の人生で、もはやプロレスを自分の体から切り離すことはできない。

28日の横浜文化体育館大会では、今年1月にデビューし「白覆面2世」を目指す長男カートと初めてタッグを結成、ジャイアント馬場(55)、力道山の次男百田光雄(44)と夢の競演をする。翌29日、東京・日本武道館大会では馬場、カートとタッグを組んで引退記念試合を行うことも決定した。

魔王といわれた悪役時代、バラエティー番組でのコメディアン。米国人でありながら日本陣営への参加と、白いマスクにもいろいろな表情を持たせてきた。「引退でマスクを脱ぐかって? 脱ぐ理由がないよ。日本のファンは脱いでほしいとは思わないだろう」。デストロイヤーは最後までデストロイヤー。本名のディック・リチャード・ベイヤーにはならずに引退する。 【川副宏芳】

★足4の字固め

(フィギュア・フォー・レッグロック)デストロイヤーのオリジナル技。テコの原理を利用し、ヒザのジン帯を伸ばす技。技をかけられた形が4の字になっている。デストロイヤーの場合は左足のつま先が相手右太モモの下にロックされ、外れにくい。技をかけられた側がうつ伏せになると、攻める側の両ヒザに体重がかかるという欠点もある。

★ザ・デストロイヤー

The Destroyer

▼生まれ 1931年7月11日、米国ニューヨーク州バッファロー生まれの61歳。本名はディック・リチャード・ベイヤー。高校時代からアメリカンフットボールを始め、シラキュース大時代は花形選手だった。183センチ、110キロ。

▼覆面の元祖 デビューした54年当時は目立たない存在だったが、62年に「マンネリを打破する」と言ってマスクマンに転向した。日本でもマスクマン選手の草分け的存在として、覆面ブームをつくった。

▼日本大好き 63年5月に日本プロレスに初来日。以後、日本びいきの外国人選手となる。73年3月から79年6月までの6年間は日本で暮らしている。73年当時は人気番組「うわさのチャンネル」(日本テレビ系)に出演し、子供から大人まで幅広く人気を得た。

▼最近のレスラーとしての活躍 全日本プロレスには年に1度来日していた。ここ数年は毎年夏のシリーズに参戦。主に若手選手と対戦し、ルーキーの登竜門となっていた。

▼レスラー一家 長男のカート・ベイヤー(32)は全日本プロレスで今年1月9日デビューした。次男リチャード(24)もレスラー志望。また長女クリス(29)は全日本の常連外国人選手のダニー・スパイビー(36)と今年2月14日に結婚した。