1998年(平10)12月29日に、ウィラポン(タイ)との再戦で7回TKO負けした直後、「普通のおとっつぁんに戻ります」と引退を示唆するようなことを言った。だけど「このままでは終われん」という思いは持ち続けていた。周囲の反対もあり、復帰戦には3年以上かかった。02年12月15日、大阪府立体育会館(現ボディメーカーコロシアム)で、元WBA世界フライ級王者だったセーン・ソーン・プルンチット(タイ)とやり、6回TKO勝ちした。

3年4カ月ぶりの復帰戦を世界ランカーとやる。これはボクにとっては背水の陣と言うしかなかった。網膜剝離(はくり)から復帰に際し、日本ボクシングコミッション(JBC)から「世界戦かそれに準じた試合のみ日本国内での許可する」の条件をつけられていたからだ。その復帰戦をしのいで次は7月というとき、練習中に左尻の筋肉を断裂してしまった。試合は延期され、03年9月26日、フリオ・セサール・アビラ(メキシコ)と復帰第2戦を行ったが、思うように動けず、不本意な10回判定勝ち。ここから5年のブランクができてしまった。

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辰吉は所属の大阪帝拳ジムから試合を組む意思がないと伝えられ、引退も勧められた。しかし、現役続行の気持ちに揺るぎはなかった。JBCルールでは、37歳がボクサーの定年で、元世界王者はその限りではないが、ラストファイトから5年までが特例期限とされていた。よって08年9月26日にJBC認定のもとで戦える期限は切れたことになる。そこで辰吉は海外に活動の場を求め、タイで試合を行い1戦目は2回TKO勝ちしたが、09年3月8日、タイの19歳の新鋭に7回TKO負けを喫した。これを最後に試合から遠ざかっている。

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この試合後にも言った。「ワシはまだ終わっとらん」。その気持ちは今も変わっていない。だから、最後の試合から5年たち、この5月で44歳になるけど、毎日トレーニングして試合に備えている。「世界王者になってやめたい」。これがボクの目標や。自分で決めたことに、まだ向かっている最中だ。

次男寿以輝(17)は、ボクがお世話になった大阪帝拳ジムでプロボクサーを目指している。子に期待しない親はいないと思う。気にはなるけど、ボクも現役ボクサーだし、ジムの方針もあるから、今はボクシングに関することは教えていない。まだ(プロボクサーに)なるのは早い気もするし、1度家から出て生活したらいいとも思う。まあ、それもかなわないなら、ボクの背中を見て頑張ってほしいと思う。

「自分の決めたこと。このままでは終われない」。ボクはこれを胸にしまい、今日もロードワークとジムに行く。それはボクシングを始めて28年間、何も変わらない。(おわり)

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