プロボクシング世界ミドル級統一戦でWBAスーパー王者村田諒太(帝拳)と対戦するIBF王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)は、史上最多の17連続KO防衛を記録した「ミドル級最強」と言われる現代のレジェンド。

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しかし、ミドル級は1884年7月30日に、グローブを使用して初めて行われたデンプシー-フルジェームズの世界タイトルマッチ以来、138年の歴史を誇り、伝説の名王者も数多い。

そこで、今も多くのボクシング評論家やマニアたちが「歴代最強」と推すレジェンド王者トップ3を紹介する。

 

<1>シュガー・レイ・ロビンソン(米国)

ボクシング界に「パウンド・フォー・パウント」という言葉がある。「もし階級差がない場合、全階級を通じて誰が最強か」という尺度で最強ボクサーを仮定する造語である。1950年代にロビンソンの強さをたたえるために米国の専門誌がつくったともいわれている。

アマチュア戦績は85戦全勝(69KO)。そのうち40勝は1回KOだった。19歳でプロデビューすると40連勝をマーク。1敗を喫した後は88連勝。46年に世界ウエルター級王座を獲得して、51年にミドル級も制した。

通算戦績は175勝(109KO)19敗6分け。44歳まで現役を続け、敗戦の多くは晩年に喫したものだった。

タップダンサーのような華麗なフットワークに、強打と多彩なコンビネーション、スピード、タフネスとボクサーに必要な要素をすべて兼ね備えていた。

そのボクシングスタイルは後の世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(米国)や5階級を制覇したシュガー・レイ・レナード(米国)らに大きな影響を与えた。

<2>マービン・ハグラー(米国)

『マーベラス』(驚異的な)の異名を持つ、80年代を代表する名選手。73年のプロデビューからKOの山を築いたが、あまりの強さから王者たちに敬遠されて、長く『無冠の帝王』と呼ばれていた。

80年9月にアラン・ミンター(英国)をKOして世界ミドル級王座を奪取した後は、統一王者として無敵の強さを誇った。

サウスポーの強打者だが、テクニックにも優れ、求道者のような強いメンタルも備え「ミスター・パーフェクト」と呼ばれた。

スーパーファイトを戦うライバルたちにも恵まれた。83年に4階級制覇を狙ったロベルト・デュラン(パナマ)を判定で下すと、85年には3階級制覇を目指した強打者トーマス・ハーンズ(米国)と、試合開始からボクシング史に残る打撃戦を展開。ハーンズの強打を食いながらも前進して強打を振るい続けて、3回にリングに沈めた。タフネスも驚異的だった。

87年の13度目の防衛戦で、後に5階級制覇を達成するシュガー・レイ・レナード(米国)に微妙な判定で敗れて13度目の防衛に失敗して引退したが、ハグラーが勝っていたとする評論家やファンも多い。

通算戦績は62勝(52KO)3敗。レナード戦を含めて3敗はいずれも微妙な判定だった。

<3>カルロス・モンソン(アルゼンチン)

70年代に無敵のモンソン時代を築いた。63年にプロデビューして、64年に3敗目(すべて判定負け)を喫した後は、引退まで13年間不敗だった。

70年に12回KOで五輪金メダリストで2階級制覇王者ニノ・ベンネヌチ(イタリア)から世界ミドル級王座を奪取すると、盤石の強さで防衛を重ねた。世界ウエルター級王者ホセ・ナポレス(キューバ)や2階級制覇王者エミール・グリフィス(米国)もKOするなど、7年間で14連続防衛に成功した。

スピードはそれほどなく、卓越したテクニックもなかったが、試合後半になっても衰えないスタミナと『鉄のアゴ』と呼ばれたタフネスには定評があった。

武器はロングレンジから放たれる「ライフル」の異名を持つ右ストレート。身長181センチで、190センチの長いリーチから繰り出す右は一撃必倒の威力を秘めていた。

77年に14度目の防衛に成功すると「もう相手もいない」と引退を表明した。通算戦績は89勝(61KO)3敗9分け。