休場しないことでも評価が高い稀勢の里だが、危機はあった。08年秋場所直前に腸捻転を起こし、入院先から国技館に通った。水さえ飲めず、点滴で栄養を取る日々。6勝9敗と苦しんだが、病気のことは口にせず、15日間取り切った。5日目には白鵬から金星を挙げた。

 場所後に本人に確認すると「2日目まで取組が決まっていて、不戦勝を出して迷惑をかけたくなかった」とだけ話した。その時、当時の師匠、鳴戸親方(元横綱隆の里)を思い出した。

 81年春場所、隆の里は場所中に蜂窩(ほうか)織炎を悪化させ、右膝を切開手術。40度の熱も続いた。ただ、序盤に横綱輪島、大関増位山が引退し、横綱若乃花(2代目)も休場。土俵を救うため奮起するしかなかった。痛み、熱と闘いながら10勝を挙げた。

 病人を無理に出場させるのは、褒められることではない。ただ鳴戸親方は自らの経験と、医師の許可を得て稀勢の里の出場を決めたという。親方は白鵬からの金星を「相撲は気持ちの持ちようだと分かったと思う」と振り返った。

 横綱として土俵に立ち続ける責任。この点は師匠から確かに受け継いでいる。【08年大相撲担当・来田岳彦】