朝乃山(28=高砂)は、失意のどん底にいた。長期の6場所出場停止処分を受けただけではなく、期間中に祖父や父が死去。一時は引退を考えるほど落ち込んだ。その弟子を支えたのが、師匠の高砂親方(40=元関脇朝赤龍)だった。連載第2回は「朝乃山を見守った師匠」。

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朝乃山が復帰する名古屋場所(10日初日、ドルフィンズアリーナ)が間近に迫った。弟子への全幅の信頼は今も変わらない。師匠の高砂親方は「緊張はしているかもしれないけど、楽しみも半分という感じでしょうかね。一番相撲を取れば問題ないでしょう」と優しい声で再起に期待した。

20年11月、部屋付き親方だった高砂親方は、先代高砂親方(元大関朝潮)から高砂部屋を継いだ。翌月に控える先代の日本相撲協会定年のためだった。モンゴル出身でありながら、名門部屋の師匠になった。計り知れない重圧を抱えた。

そんなとき、頼りになったのが当時大関だった朝乃山だった。ある日、弟子を呼び出し、頭を下げた。「伝統のある部屋を一緒に支えて欲しい」。恥などなかった。「自分は外国出身だから、いろいろな人の手助けが必要。朝乃山も『一緒に頑張りましょう』と言ってくれた。感謝です」。その時に交わした言葉は、今もずっと胸の中にある。

高砂親方はこれまでに2度、朝乃山から引退の相談を受けた。1度目は昨年6月で6場所出場停止処分を受けたとき。2度目は同年8月に父靖さんが急逝したときだった。失意のどん底で角界を去ることを持ちかけられた。同親方は「今は辛抱して頑張ろう」と繰り返し説き伏せた。「何が何でも辞めさせては駄目だと思っていた。この1年でつらい時期はたくさんあったけど、土俵に戻りさえすれば、まだまだ活躍できる力士。それに高砂部屋の未来のためにも朝乃山の力は絶対に必要だから」と振り返った。

信頼し、支え続けてきた弟子が、いよいよ本土俵に帰ってくる。長い出場停止期間が明け「ようやくですね。本人はもちろん気合が入ってますよ」と朝乃山の近況を明かす。十両朝乃若や幕下力士らと稽古を重ねるなど調整に余念がない。相撲勘の不安はもちろんあるが、「この1年で精神的に強くもなった。ちょっとやそっとでは崩れないと思う。実力も十分ある。いつも通りに頑張ってもらえればいい」。土俵にあがれば、後はそっと見守るだけだ。【佐々木隆史】

◆朝乃山広暉(あさのやま・ひろき)本名・石橋広暉。1994年(平6)3月1日、富山市生まれ。相撲は小4から始め富山商高3年で十和田大会2位、先代高砂親方(元大関朝潮)、部屋付きの若松親方(元前頭朝乃若)と同じ近大で西日本選手権2度優勝など。16年春場所で三段目最下位格(100枚目)付け出しで初土俵。前頭だった19年夏場所で初優勝し、20年春場所後に新大関に昇進。187センチ、170キロ。

◆朝乃山の再入幕までの道のり 「番付は生き物」と言われるだけに自身だけではなく周囲の力士の成績などによって番付は大きく左右されるが、幕内復帰は最速で来年3月の春場所となりそうだ。名古屋場所で7戦全勝優勝なら9月の秋場所で幕下15枚目前後が予想され、番付運に恵まれて15枚目以内となれば7戦全勝で再十両が確実。最短で11月の九州場所で関取復帰の再十両に。さらに十両も2場所通過なら同年3月の春場所で幕内復帰となる。

<朝乃山の出場停止処分から復帰までの道のり>

▽21年5月 大関だった夏場所中に日本相撲協会作成の新型コロナウイルス対策ガイドライン違反行為となる、外出禁止期間の度重なる飲食店通いが発覚して同場所を途中休場。協会からの事情聴取で違反行為を否定するなどの虚偽報告をし、師匠の高砂親方が朝乃山の引退届を協会に提出。

▽21年6月 臨時理事会で出場停止6場所と6カ月50%の報酬減額の懲戒処分が下る。今後協会に迷惑をかける行為を行った場合に受理すること、そのことを了承する旨の誓約書を提出することで引退届は八角理事長預かりとなる。また、同時期に祖父が死去。

▽21年7月 かど番で迎えた名古屋場所を全休。

▽21年8月 父の靖さんが急性心原性肺水腫により64歳で急逝。

▽21年9月 大関から関脇に陥落。秋場所を全休。

▽21年11月 西前頭10枚目に陥落。九州場所を全休。

▽22年1月 東十両4枚目に陥落。初場所を全休。

▽22年3月 西幕下2枚目に陥落し17年春場所から続いていた関取の座から降りる。春場所を全休。

▽22年5月 西幕下42枚目に陥落。夏場所を全休。出場停止6場所が解ける。

▽22年7月 西三段目22枚目として名古屋場所から復帰。しこ名の下の名前を高校時代の恩師の「英樹」から本名の「広暉」に変更。

◆十両以上(関取)と幕下以下の差 給与は横綱300万円、大関250万円、三役180万円、平幕140万円、十両110万円で、幕下以下には支払われない。給料以外の待遇にも大差がある。関取は付け人がつき、部屋の外に住むことも自由。稽古では幕下以下は黒まわしだが、関取は白まわし。大銀杏(おおいちょう)を結い、土俵入りで化粧まわしをつけることも可能。場所入り時は車移動だが、幕下以下は原則電車などの公共交通機関での移動。

 

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