故郷にとっても、朝乃山(28=高砂)の復帰は待望となる。昨年5月、朝乃山に日本相撲協会の新型コロナウイルス感染対策ガイドラインの違反が発覚。虚偽報告も重なり、引退の可能性もささやかれた。地元富山市の呉羽地区自治振興会は当時、寛大な処分を求めて1万人強の署名を協会に郵送。最終的に6場所出場停止などの処分は下ったが、郷土力士との絆を再認識する機会になった。

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わずか10日ほどで1万1549人の署名が集まった。同振興会長の北森正誠さん(74)は「あの時は必死でしたね。このままでは辞めるかもしれないと思いました。相撲協会になんとか寛大な処分を求めるために始めました」と当時を回想した。署名の多くが地元住民の力を借りて集められ、どれも朝乃山の未来をつなぎ留めたい人たちの思いがあふれていた。

富山駅から車で20分ほどの富山市の呉羽地区。人口1万2500人の集落は、2カ月に1回の本場所中に活気づく。話題の中心は、地元から大関まで上り詰めた石橋広暉こと朝乃山。地区内には町内会が製作したのぼり旗が掲げられ、取組のパブリックビューイングも開かれてきた。

昨年5月、大関だった夏場所中に日本相撲協会作成の新型コロナ感染対策ガイドラインの違反行為が発覚し、途中休場。協会の事情聴取で虚偽報告も明らかになり、厳罰は避けられない状況だった。自ら引退届を提出する事態にまで発展していた。北森さんは当時、「土俵で頑張る朝乃山を見て今まで多くの元気をもらった。何もしないのはあまりにかわいそうだと思った」と署名活動を始めた。

地区の老人クラブ、社会福祉協議会、飲食店などに協力を呼びかけると、日に日に賛同の輪が広がった。次第に県内外からもファクスで署名が寄せられるようになった一方で、「署名をする意味があるのか」「こういう力士が復帰するのは良いことなのか」などの批判も受けた。

コロナ禍で、1万人を超える署名を日本相撲協会に手渡しすることはかなわなかった。そのため、「相撲人として過ちは相撲で返す朝乃山関を信じております」などとしたためた嘆願書を添えて郵送した。6月11日、協会は朝乃山に出場停止6場所と6カ月50%の報酬減額の懲戒処分を下した。

北森さんは「署名をしたからといって処分内容には影響しなかったかもしれない。でも、署名をやって良かった。これだけの方が応援していると分かりましたので」。朝乃山にも署名のコピーを渡した。本人の反応を知る機会はこれまでなかったが、後援会関係者から「再び土俵に上がる自分の姿を待ってくれる人たちがこれだけいることを実感していた」と聞いた。

朝乃山が三段目として復帰する名古屋場所(10日初日、ドルフィンズアリーナ)。北森さんは「久々のうれしいニュース。1日でも早く元の地位に戻ってほしい」。幼い頃から知る28歳に、ここからは上がっていくだけだと背中を押す。【平山連】(おわり)

◆朝乃山広暉(あさのやま・ひろき)本名・石橋広暉。1994年(平6)3月1日、富山市生まれ。相撲は小4から始め富山商高3年で十和田大会2位、先代高砂親方(元大関朝潮)、部屋付きの若松親方(元前頭朝乃若)と同じ近大で西日本選手権2度優勝など。16年春場所で三段目最下位格(100枚目)付け出しで初土俵。前頭だった19年夏場所で初優勝し、20年春場所後に新大関に昇進。187センチ、170キロ。

 

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