天国にいる息子は今、どんな思いで見ているだろうか。朝乃山の富山商高時代の恩師、浦山英樹さんの父松男さん(74)はそんな思いで、復帰までを見守ってきた。6月下旬、富山県内の自宅を訪れ仏壇に手を合わせた朝乃山(28=高砂)に対し、あえて厳しい言葉をぶつけた。亡き息子が育てた教え子。再び関取に返り咲く日まで、地元富山から支え続ける。

   ◇   ◇   ◇

名古屋場所の番付発表が迫った6月下旬、浦山松男さんは目の前の若者を叱責(しっせき)し続けた。法要で富山に一時帰省していた朝乃山に会うのは、処分が下ってから初めてだった。およそ1時間の滞在中、孫ほど年の離れた28歳に奮起を促した。

「お前の言葉、行動がみんなの注目を浴びる。気を付けなきゃいけないことをもっと自覚しろ」「会社員なら、所属する組織のルールがある。日本相撲協会の言うことをちゃんと守らないといけないだろう」「どこから給料をもらって生活しているのか、よく考えないといけないぞ」。建設業界で50年あまりを勤め上げた経験を伝えた。

黙って耳を傾けていた朝乃山は帰り際、「1年で関取に復帰します」と決意を述べた。浦山さんは「次は大関、横綱になって、帰って来い」と見送った。

浦山さんの息子英樹さんは、朝乃山の富山商高時代の相撲部監督だった。左肘を負傷して相撲を辞めようと思っていた中学時代には「富商に来い。俺が強くしてやる」と声をかけた。近大在学中には角界入りの背中を押した。しかし、17年1月、がんのため40歳の若さでこの世を去った。以降、朝乃山は地元に帰る度に浦山さんの自宅に寄り、仏壇に手を合わせた。浦山さんは「今回は手を合わせている時間が長かったね。久々だったから、英樹と話すことが多かったんでしょうね」と思いやった。

朝乃山は三段目からの再起にあたり、しこ名を改名。17年春場所の新十両昇進を機に英樹さんからもらった「朝乃山英樹」の下の名前を本名の「広暉」に変更した。浦山さんは心機一転の決意の表れではなく、別の思いを感じている。直接本人から聞いたわけではないと前置きした上で「期待を裏切ってしまったことへの申し訳ない気持ちから、息子の名前を名乗れないと思っているんじゃないだろうか」とおもんぱかった。

帰省の度に恩師への報告を欠かさない義理堅さや真面目な性格。そんな朝乃山の一面を知るからこそ、英樹さんが亡くなってからはあえて厳しく接するようになった。「息子が一生懸命に目をかけていたからこそ、放っておけない。完全な代わりにはなれないけど、できることはある」。

名古屋場所(10日初日、ドルフィンズアリーナ)へ信頼は揺らがない。「三段目から再出発だけど、照ノ富士や阿炎だって1度落ちてからはい上がってきた。何も心配していない。7番勝つことは当たり前。どこで1敗するのか。関取に上がるまで無敗でいくんじゃないか」。天国で見守る息子とともにハッパを掛けた。【平山連】

◆朝乃山広暉(あさのやま・ひろき)本名・石橋広暉。1994年(平6)3月1日、富山市生まれ。相撲は小4から始め富山商高3年で十和田大会2位、先代高砂親方(元大関朝潮)、部屋付きの若松親方(元前頭朝乃若)と同じ近大で西日本選手権2度優勝など。16年春場所で三段目最下位格(100枚目)付け出しで初土俵。前頭だった19年夏場所で初優勝し、20年春場所後に新大関に昇進。187センチ、170キロ。

【関連記事】朝乃山の改心願い、心を鬼に音読させたわび状 処分決定後は部屋が一致団結で支えた1年/連載1

【関連記事】朝乃山、失意どん底で2度の引退相談 支えた高砂親方「何が何でも辞めさせては駄目だと」連載2