大関正代(30=時津風)の大関昇進披露祝賀会が23日に行われ、余興で「大根踊り」が披露された。正代の出身大学、東京農業大学の名物であり、東農大出身の幕内力士、豊山(29=時津風)が応援団員とともに踊ってみせた。この写真を報じたところ、普段は見られない場面だったこともあり、読者の皆さまから反響があった。そこで、一部の東農大出身力士に大根踊りについての事情を聴いた。

時津風部屋OBで元幕内双大竜の高橋亮三さん(40)は「農大に入学すると1年生は絶対に歌と踊りを覚えさせられます。体育会はもちろん、一般の学生もできるんじゃないかな。自分の断髪式後のパーティーでも、同級生や先輩と一緒に踊りました。めでたい席や門出の時に踊ることが多いですね。最近は踊ってないなあ」と説明してくれた。

両手に大根を持って踊ることから「大根踊り」として知られているが、歌のタイトルは「青山ほとり」。東農大をたたえ、農業の尊さを歌っており、今は東農大の応援歌として親しまれている。東農大のウェブサイトには、以下のように説明されている。

「初演は昭和26年(1951年)10月、渋谷のハチ公前でした。トラックに乗って現れたのは、東京農大の『収穫祭宣伝隊』の学生たち。法被姿で、両手に大根を持ち、歌と太鼓に合わせて踊り出しました。(中略)

『大根を持って踊る』ことに、応援団員は最初は反対していました。しかし、先輩応援団が後輩の前で踊った際に、踊った人も見ていた人も皆笑顔になったのを見て、『平和というのは、人々に笑える自由があることではないのか』と気づき、大学の理解も得て『大根踊り』が始まったそうです」

同じく時津風部屋OBの元幕下加美豊の佐藤大さん(35)は、大根踊りに関係するエピソードをいくつも覚えている。「あくまで当時の話なので、今は違うと思いますが」という前置きのもと、話してくれた。

東農大入学が決まり、佐藤さんが世田谷キャンパス内の相撲部寮に入ったのは、新年度を控えた3月21日ごろ。2学年上には、現在の時津風親方(元幕内土佐豊)がいた。

「4月に入学式があるので、それまでに先輩全員の名前、学科、出身高校のほか、青山ほとりなどいくつかの歌を覚えなくてはいけません。入学式を終えると、先輩に呼ばれてテストがあります。合格すれば、その日の夜は門限なし。不合格なら、その日から1年生としての雑用が始まります。僕は受かったので、地元から東京にきていた幼なじみのところへ遊びに行きました」

相撲部に入ると、年に1、2回、大きな大会の前に応援団による壮行会があった。そこで応援団が大根踊りで送り出してくれたという。応援団が手にしていた大根は「合宿所で食うんです。鍋とかに入ります」。

基本的に慶事で披露されることが多いが、佐藤さんは葬式で踊ったことがあるという。かつて応援団の要職を担ったOBが「死んだら大根踊りで送って欲しい」と相撲部と約束したことがあったそうで「周りの人が泣いている中、3、4人で必死に踊りました。葬式でやったのは1回だけ。弁当3つくらい食って帰りました」と回想した。

このように大根踊りは、あらゆる場面で人々の心に訴える力がある。佐藤さんによれば「キレを良くして、だらっとしない」というのが、見栄えを良くするコツだという。その場に大根がなければ、ビール瓶やペットボトルでの代用も可。東農大と大根踊りは、切っても切れない関係にある。【佐々木一郎】