モンゴル出身の関脇霧馬山(26=陸奥)が、逆転で初優勝を飾った。1差で追っていた単独トップの小結大栄翔を、本割で破って12勝3敗で並ぶと、優勝決定戦にも勝った。小結で11勝した先場所に続き、三役で2場所連続2ケタ白星。次の夏場所(5月14日初日、東京・両国国技館)が大関とりとなる。師匠の陸奥親方(元大関霧島)にとっても、弟子の幕内優勝は初。次は陸奥部屋出身では初の大関となり、恩返しする。

行司軍配を見た。際どい勝負となった優勝決定戦。無我夢中の霧馬山は、勝利の確信がなかった。軍配は自身を差していた。だが物言いがついた。大栄翔の突きに押し込まれながらも、右に回り込んで突き落とした。霧馬山の左足が土俵外につくのと大栄翔が落ちるのが、どちらが先か。1分近い協議後、自身が勝ったとアナウンスされると天を仰ぎ、大きく息をついた。花道では目頭を押さえた。

「本当にうれしかった。勝ちと分かった瞬間、どこにいるか分からなかった。最高。相撲部屋に入った時の最初の夢がかなった」

本割も押し込まれたが、土俵際の突き落としで逆転した。「最初の相撲ですごく緊張した。『やってやるぞ』という気持ちになってからは、負けても勝っても自分の相撲を取ろうと思った」。不思議と決定戦は緊張しなかった。冷静に取ったことが明暗を分け、1差逆転。勝負強さを見せた。

陸奥部屋初の幕内優勝力士となった。初めて陸奥親方と顔を合わせた14年10月のことを、師弟はそろって今も覚えている。霧馬山は「横綱になります」と宣言していた。以来、陸奥親方からは「もっと稽古しないと横綱になれないぞ」と言われた。しこ名も期待の表れ。陸奥親方の現役時代のしこ名霧島の「霧」。それに部屋の所属する時津風一門で、時津風部屋の創設者双葉山から、読みの「ばやま」をもらった。歴代最長69連勝を記録した、大横綱と重ね合わせられていた。

19年9月、本物の横綱が突如、兄弟子となった。横綱鶴竜が、師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)の急逝に伴い、転籍してきた。稽古熱心な兄弟子にならい、今場所前は2月のほとんどを出稽古に費やし猛稽古。「今思うとよく『横綱になります』なんて言ってたな。その前に大関があるのに」と苦笑い。ただ昇進を預かる審判部の佐渡ケ嶽審判部長(元関脇琴ノ若)は、夏場所が大関とりとの見解を示した。「三役3場所33勝」の目安へ10勝と迫った。

この日の朝稽古後、霧馬山は言った。「大関は…、ちょっと近づいたかな」。師匠と、部屋付き親方となった鶴竜親方への恩返しを夢見ている。【高田文太】

◆八角理事長(元横綱北勝海) 霧馬山は(安定感や重みなど)ドッシリしてきた。最後も押されたがいなせた。立ち合いの重さ、速さが出ればもっと楽に勝てる。新関脇で優勝。持っていると言えば持っている。(大関を)つかむかどうかは本人次第だろう。

◆幕内後半戦の粂川審判長(元小結琴稲妻) 大栄翔も良かったが、霧馬山が足腰の良さ、土俵際の粘りで勝った。横綱、大関が不在だったが番付通り三役陣が頑張った。

<霧馬山鉄雄アラカルト>

◆生まれ 1996年4月24日、モンゴル・ドルノドゥ生まれ。本名・ビャンブチュルン・ハグワスレン。

◆スポーツ歴 バスケットボールが小、中学校の6年間、柔道は15~18歳。並行してモンゴル相撲は10~18歳で、18歳の時にモンゴルでベスト4。

◆入門 高校卒業後の14年10月、モンゴル人4人で来日し、陸奥部屋に体験入門。そこから1人だけ選ばれ、翌15年1月正式入門。

◆入門後 15年夏場所初土俵。19年春場所新十両。20年初場所新入幕。21年九州場所新三役。三賞は敢闘賞1回、技能賞2回。

◆遊牧民 両親は今も遊牧民生活だが霧馬山の取組は欠かさずテレビ観戦。テレビを見るだけでなく「SNSもやっている」(霧馬山)という。

◆家族 両親と兄、妹。

◆サイズ 186センチ、140キロ。

◆得意 左四つ、寄り、投げ。

◆血液型 A。