日本相撲協会は10日、元前頭で幕下の明瀬山(38=木瀬)が現役引退と年寄「井筒」を襲名することを発表した。

東京・両国国技館で師匠の木瀬親方(元前頭肥後ノ海)とともに引退会見に臨み、「目いっぱい相撲をやったので、悔いはありません」と現在の心境を語った。今後は親方として後進の指導に当たると言い「『この力士を応援して良かった』と思ってもらえるような力士を育てたい」と抱負を述べた。

引退の決め手になったのは、2勝5敗で負け越した5月の夏場所だった。場所前から調子も良く順調に稽古を詰めていたが、思うような結果にならなかった。「ここが限界なのかな」と場所後に師匠の木瀬親方に相談し、最後の場所と思って地元愛知県で行われた名古屋場所に臨んだ。そこで5勝2敗と勝ち越したが、気持ちは変わらなかった。 応援に駆けつけた家族の前で最後の勇姿を見せられたことについては「ここまでやってこれたのも両親が応援してくれたおかげ。両親から『十分楽しませてもらった』と言われていたので、やってきてよかった」と誇らしそうな笑みを見せた。

埼玉栄高から日大を経て本名の「深尾」で08年初場所で初土俵を踏んだ。アマチュア時代に培った重い体を生かした取り口で序ノ口、序二段、三段目を1場所で通過していた時は「天狗になっていた」。幕下上位になると力が通用せずに苦しんだ。

分岐点になったのは、1勝6敗と負け越した09年11月の九州場所だった。部屋に戻ると師匠から「悔しいか」「だまされたと思って俺の言うこと聞くか」と言われ、一から自分の相撲を見つめ直した。同親方から「右を取ったら強い」との言葉を信じて稽古を励み、新たな強みもできた。壁を突き抜け、10年九州場所で新十両昇進をつかんだ。

新十両昇進を機に、しこ名を「明瀬山」に改名した。16年春場所で新入幕に昇進し、幕内在位4場所で自己最高位は東前頭12枚目。21年秋場所からは幕下に転落し、名古屋場所を最後に現役引退を決断。通算成績は472勝473敗29休だった。隣に座った木瀬親方は「素直で真面目な力士だった」と愛弟子の頑張りをたたえた。15年間の現役生活について「想像以上でした。38歳までやれるとは思っていなかった。師匠の指導のおかげでした」と万感の思いを述べた。【平山連】