大相撲の歴史が劇的に塗り替えられた。新入幕の東前頭17枚目・尊富士(24=伊勢ケ浜)が豪ノ山を押し倒し、13勝2敗で初優勝を遂げた。前日14日目の取組で右足を負傷。救急車で大阪市内の病院へ搬送される事態で出場も危ぶまれた千秋楽。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に直訴しての強行出場で白星を飾った。史上最速の所要10場所で、110年ぶりの新入幕V。さらにまだ大銀杏(おおいちょう)を結えないちょんまげ力士の優勝も初。尊富士は三賞も殊勲、敢闘、技能すべて獲得した。

本能的なものだろう。豪ノ山を押し出した尊富士はクルリ体を反転させると、ニヤリ笑った。「記憶は全部飛んでたんで。覚えてないですね」という。ただ、勝った喜びよりもやりきった満足感が全身を貫いたのは確か。その思いがあふれ出た「ニヤリ」だった。

「(幕内)土俵入りからすごかったですね」と館内の異様な空気、大歓声に包まれた。大相撲ファンは前日から尊富士に何が起きたのか、理解していた。14日目、朝乃山に寄り切られての2敗目。その際に右足首付近を痛め、自力で歩くことができずに車椅子で運ばれ、救急車で大阪市内の病院に搬送された。

エックス線検査など「あらゆることをやった」という尊富士によると、右足甲の付け根部分の靱帯(じんたい)を損傷し、腫れ上がったという。「歩けないし正直ダメだと」。師匠の伊勢ケ浜親方も「土俵に上がっても力が入らないんならやめとけ」と諭された。しかし、尊富士は逆に気持ちを強く、決意を固めた。

「どうのこうのじゃないんで。自分は15日間、土俵に立つと言ったんで、やるしかない。横綱(照ノ富士)からも『おまえならできる』と言われて、そのおかげで人(大の里)の勝ち負けを待っている場合じゃないと思いました」

休場しても、大の里が負ければ賜杯は手にすることができた。しかし、そんな栄誉は求めなかった。戦場に出陣する武将のように生き死にの覚悟を決めた。

「戦は寝ていたら勝てない。自分からやらないと勝てない。この先終わってもいいと思った。過去は変えられない。これで後悔したら一生、悔いが残る。だから土俵に上がりました」

覚悟は決めても痛みとの戦いは続いた。痛み止めの注射を打ったが、「もう寝れなくて。こんなにつらいとは思わなかった。ごはんを食べてもおいしくなかったし」。そんな激痛に耐える顔は表に見せない。だれの手も借りず、堂々と場所入りし、幕内土俵入りで喝采を浴び、相撲はしっかり右足で踏ん張って前に出た。

「もう1回やれと言われても無理です。気力ないです」と死力を尽くした一番に勝てたのも、横綱のおかげだった。「自分は横綱の背中を見て育ったんで。横綱も(序二段まで落ちて)苦労してきた。このけがで土俵に上がらなかったら男じゃないと思った」

「本当に自分が優勝していいのか」という110年ぶりの新入幕V、史上最速所要10場所での優勝と大相撲の新たな歴史の扉を開けた。優勝インタビューで言った。「記録も大事だが、みなさんの記憶にひとつでも残りたくて頑張りました。本当に1日1日が濃い15日間でした」。個性的な、そして規格外の新たな力士像を尊富士が描く。その最初の1ページ目はただただ鮮烈だった。【実藤健一】

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