こんなお年寄りが近所にいたらきっと「めんどうな人」と思うだろう。

ロンドン近郊の小さな町に住むバントン氏はBBCの受信料拒否を続け、徴収人とのトラブルを繰り返す。タクシー運転手としては客の気分にお構いなく話し続ける。自身の才能を疑わず、毎夜書く我流の戯曲を放送局に送り続けている。空気の読めない人なのだ。

だが、社会的弱者のためという姿勢は一貫している。BBCとの「闘争」は、社会から切り離された貧しい高齢者が公共放送を見る権利を守るためであり、転職先のパン工場で、上司がパキスタン従業員への差別的な態度を取れば、決して許さない。

「ゴヤの名画と優しい泥棒」(25日公開)は、実在のケンプトン・バントン氏が61年に起こした名画盗難事件をユーモアたっぷりに描いている。

バントン氏(ジム・ブロードベント)が勝手放題しても家庭が崩壊しないのは妻のドロシーさん(ヘレン・ミレン)がいるからで、彼女は夫の行動をなじりながらも、家政婦として働き、家計を支えている。夫妻には娘を事故で亡くした悲しい過去があるが、同居している息子(フィオン・ホワイトヘッド)は素直な青年で、それなりに「円満」な日々を送っている。

そんなバントン氏がロンドン国立美術館(ナショナル・ギャラリー)に展示されていたゴヤの名画「ウェリントン公爵」盗難事件を巻き起こす。なぜ、どうやって-は興趣をそぐことになるのでここでは触れないが、彼なりの「正当な行動」は、結果として警察捜査の裏をかくことになり、逮捕後も裁判を通じて、今の尺度からすれば何とも時代遅れの当時のさまざまな「権威」をあざ笑うことになる。

実話とは思えない展開が、「ノッティングヒルの恋人」で知られるロジャー・ミッシェル監督の小気味いい演出に乗り、引き込まれる。随所で笑わされる。

正しい主張を続ければ必ず世の中は良くなる、というあまりにも楽天的なバントン氏の考え方がいつの間にか染みてくる。脚本のクライブ・コールマンは「社会が以前より分裂し、より憎しみが増しているように見える今こそ、バントン氏は英雄です」と言う。

もう1本の糸としてストーリーに絡むのが夫妻の亡き娘への思いだ。思い出はつらすぎて、どちらも言葉に出すことが無い。それぞれの思いを訝(いぶか)り、いつの間にか見えない溝になっている。互いに思いを吐露し、氷解する終盤にジンとさせられる。

残念ながらこれがミッシェル監督の遺作となってしまったが、名優ブロードベントとミレンは老練のやりとりで最後のメガホンに応えている。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)

(C)PATHE PRODUCTIONS LIMITED 2020
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