演歌・歌謡曲の世界で「第7世代」と呼ばれる歌手が活躍しています。ニッカンスポーツ・コムでは「われら第7世代!~演歌・歌謡曲のニューパワー~」と題し、音楽担当の笹森文彦記者が、注目歌手を紹介しています。前回に続いて登場するのは、女性シンガー・ソングライター蘭華(らんか)。今回は作品のテーマに込められた思いに迫ります。

音楽への思いを語る蘭華(撮影・河野匠)
音楽への思いを語る蘭華(撮影・河野匠)

14年に初シングル「花時」を自主制作で発表した。

<歌詞>夢を叶えてゆく姿を あなたにも見ててほしかった…父よ ずっと愛しています あなたの娘でよかった

メジャーデビューを目指す自分を、ずっと応援してくれた父親への思いをつづった。父親は「花時」を発表する3年前の11年3月、62歳の若さで亡くなった。末期がんで余命3カ月と宣告されていた。「デビューする姿もテレビや雑誌に出る姿もソロコンサートも見せてあげられなかった」と後悔している。

蘭華 ライブに出演すると聞くと、大分から夜行バスで駆けつけてくれた。やりたいと思ったことをやらずに済ますことのできない性格は父譲り。(亡くなってからは)本当に悲しみに暮れていました。

底のない深い悲しみだったが、アーティストとしての使命感を呼び覚ましたのが東日本大震災だった。父親が死去する11日前、それは起きた。

蘭華 (震災の様子は)見舞いに行った父の病室のテレビで惨状を見ていました。(その後)父が亡くなり、本当に悲しみしか感じなかった。でも語弊があるかもしれませんが、日本中が絶望に直面している時、私だけが悲しんでいてはダメだと思うようになった。今会いたい人に、大切な人に会っておかなくては後悔するというメッセージを伝えなければと思った。後悔した私として、つらい思いを、切ない思いをしたことを他の人にしてほしくないと思ったんです。

四十九日法要を終えると被災地に向かった。知り合いのシェフの炊き出しに同行した。自分はシンガー・ソングライターで、自分の曲を多くの人に知ってほしいという思いはあった。だが歌えなかった。歌っていいのかという躊躇(ちゅうちょ)の思いが強かった。歌を封印し、料理の手伝いに精を出した。

蘭華 シェフたちは、冷たいものしか食べていない方たちを元気にしてあげようと活動している。その姿を見て、自分は何ができるんだろうと考えました。歌えなかったけど「僕らは温かい料理を作るから、心を温めてあげてほしい」と言われた。そうか、私はシンガー・ソングライター。音楽や曲に込めた思いでしか伝えられないと、あらためて思いました。

被災した人たちに向けて「希望という花を」「あの街を離れて」という曲を書いた。「あの街を離れて」では「この手に広がる 大きな夢をまた見てみたいよ 微かな夢のカケラ 拾い集めて」という歌詞を書いた。父親の死を乗り越えて再び歩み始めた自分へのメッセージにも聞こえる。

それからは「愛」「命」「人生」が、作品の主要テーマになった。20年10月にCD化した「愛を耕す人」もそうだった。19年12月4日、アフガニスタンで凶弾に倒れた医師の中村哲さんへの鎮魂歌だった。中村さんは、紛争で荒れた土地で、医療だけでなく、緑化や農業支援に尽力し、多くの命を救った。訃報はニュース速報で知った。実はその頃、極度のスランプに陥って、曲が書けない日々が続いていた。

「ねがいうた/愛を耕す人」のジャケット
「ねがいうた/愛を耕す人」のジャケット

蘭華 実は中村先生のことを存じ上げていませんでした。先生の記事を読めば読むほど、どうして人々を救うために命を懸けて尽力されて来られた方が、命を失わねばならないんだろうという悲しさと怒りが込み上げて来ました。記事を見ては、布団の中で泣きながら眠る日が続きました。

家族に付き添われた中村さんの遺体が成田空港に到着すると、外務省や在日アフガニスタン大使館の関係者ら多くの人が出迎えた。その様子をテレビを見ていたその時、ある思いがフラッシュバックした。

蘭華 中村さんの奥様と私に(年齢が)近い娘さんが映し出されて。亡くなり方は違うんですけど、大切な父親や伴侶を亡くしたという家族の悲しみがすごく伝わってきた。突然、父を亡くした時の自分の気持ちがよみがえったんです。志半ばで命を終えなければならなかった無念さを感じて、いても立ってもいられなくなったんです。

それから数日後に都内でクリスマスライブが予定されていた。セットリスト(曲順)は既に決まっていたが、中村さんのことを歌いたいという思いが沸き上がった。スランプに陥っていたが、一気に書き上げた。それが「愛を耕す人」だった。

蘭華 私のように中村先生のことを知らない人もいるかもしれない。こんな尊い活動をされた方のことを知ってほしい。リハーサルに間に合うように1日で書き上げました。

<歌詞>愛を守り抜く あなたのその意思 誰にも真似できない 命 人生をかけ

ライブでは歌唱中に、涙が止まらなかった。反響は大きかった。CD化を熱望するファンの声が多く届いた。

年が明けると、新型コロナウイルス感染症が猛威を震い始めた。ライブやCD制作は中止や延期となった。それでも、中村さんの活動を支援してきた国際NGO団体のペシャワール会と連絡を取り合い、20年5月4日に配信リリースすることを決めた。

蘭華 少しでも早く出したかったのですが、意味のある日に発表したかった。5月4日は「みどりの日」です。中村先生は荒れ地に用水路を引き緑のオアシスに変えました。そして4日は月命日でもあります。

配信後、ペシャワール会を訪ねた。遺影の前でアカペラで歌った。曲は多くのメディアで紹介された。親しい音楽家の後押しもあり、5カ月後の10月7日にCD発売された。ジャケット写真は明るい緑にした。コロナ禍で発表会はできなかったが、代表曲の1つになった。

ペシャワール会の事務所を訪れ、中村哲医師の遺影の前で「愛を耕す人」を歌唱する蘭華
ペシャワール会の事務所を訪れ、中村哲医師の遺影の前で「愛を耕す人」を歌唱する蘭華

蘭華のオリエンタルな音楽は、中央アジアの国、カザフスタン共和国にも注目されている。一昨年夏、在日大使館からの依頼で、同国の著名な詩人、アバイ氏の代表作「黒い瞳」を日本語でカバーし、イメージ映像を制作した。映像は同国内で大きな話題となった。これが縁で昨年末、同国の独立30周年記念曲「カザフの夢」を制作した。今も友好の懸け橋として期待されている。

蘭華 最初は事務所に1通のメールが来て、ぜひお願いしたいと。あとで知ったのですが、私のライブを見てくださった方が、私を推薦してくださったようです。かつて私のライブを見た方がプロダクションを紹介してくれたことがあった。人とのつながりの大切さを本当に感じます。

カザフスタン共和国独立30周年パーティーで歌唱する蘭華
カザフスタン共和国独立30周年パーティーで歌唱する蘭華

子供の頃から、歌好きだった両親にカラオケに連れられて、歌うことに親しんだ。人気番組「ASAYAN」に出演しているデビューを夢見る少女たちの姿に自分を重ねた。ルーツである中国に留学してオリエンタルな感性を磨いた。俳句の会で和の表現を学んだ。遅咲きかもしれないが、着実に歩んでいる。

蘭華 今の世界情勢はとても意識しています。ウクライナの曲もいずれ書くだろうと感じています。まずは引き続き、愛と命の大切さ、人生に重きを置いた作品をつくっていきたい。悲しい別れもありますが、暗黒であっても光がのぞいているよ、という希望を絶えず持って書いていきたい。そしていつか、日本中の誰もが知っている曲をつくりたい。

深い悲しみや無念さに共感できる人柄に接すると、夢が実現する日が、そう遠くないような気がしてならない。これからに注目したい。(おわり)

◆蘭華(らんか)大分県生まれ。高3年の時に地元のカラオケ大会に入賞し歌手を目指す。高校卒業後、都内の中国語専門学校に進学し北京に留学。15年に両A面シングル「ねがいうた/はじまり色」でメジャーデビュー。「はじまり色」は映画「海のふた」主題歌。16年アルバム「東京恋文」で日本レコード大賞企画賞受賞。最新曲は21年12月に配信リリースした「愛しい涙」。海蔵亮太らに曲を提供。特技は温泉ソムリエ、書道七段。

○…6月19日に「シルクロード~文化と友情の架け橋 Vol.3 カザフスタン編」(東京・赤坂区民センター)に出演する。今年が中央アジア5カ国と日本の外交関係樹立30周年にあたり、コンサートなど各国のイベントが順次行われている。入場無料だが事前申し込みが必要。主催するMIN-ONの公式ホームページなどで確認を。

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