「平成」が間もなく終わるけれど、平成の演劇界を振り返る機会が多くなった。昭和と平成を比べて、大きな変化は商業演劇における歌手公演とスター俳優の主演公演の衰退と、ミュージカルと宝塚歌劇団の隆盛だった。

今でこそ宝塚歌劇団の専用劇場となっている東京宝塚劇場も、平成元年は宝塚公演が7カ月間で、以外に山田五十鈴、森繁久弥、森光子、山本富士子の公演があった。しかし、新装開場した平成12年からは年間通して宝塚歌劇のみの公演となっている。

平成26年に創立100周年を迎えた宝塚歌劇団も、昭和には存亡の危機があった。昭和40~50年代、親会社の阪急電鉄はプロ野球・阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)を所有していたが、赤字だった。同様に宝塚も観客動員の低迷で赤字を抱え、「阪急の2大お荷物」とやゆされていた。

しかし、昭和49年「ベルサイユのばら」初演が状況を一変させた。人気劇画の初舞台化ということもあって、宝塚ファン以外の観客も殺到して社会現象にもなった。宝塚音楽学校の入試倍率もそれまでの5倍程度から20倍に跳ね上がった。「ベルサイユのばら」に続いて「風と共に去りぬ」も大ヒット。宝塚は息を吹き返した。昭和63年、金融機関から阪急ブレーブスか宝塚かどちらかを手放すように要請された阪急電鉄は阪急ブレーブスを譲渡し、宝塚を残した。

戦前は宝塚と並んで人気のあった松竹歌劇団(SKD)は、本拠だった浅草の国際劇場閉館に伴い、拠点を転々とした。レビュー劇団からミュージカル劇団への転身を図ったが、思うように集客ができず、平成8年に70年の歴史に幕を閉じた。宝塚は今年で創立105周年を迎えたが、存続に「ベルばら」が貢献したことは間違いない。

宝塚は平成8年にウイーン発ミュージカル「エリザベート」初演の成功などで、上演作品の幅が広がり、ミュージカルブームが追い風となった。人気のトップスターが退団しても、新たなスターが誕生するなど「スターシステム」がきっちり機能していることも大きかった。兵庫の宝塚大劇場は観客動員に苦労した時期もあったが、魅力的なスターと作品という両輪もあって、平成後半には観客動員を大幅に伸ばした。

平成28年に宝塚大劇場、東京宝塚劇場ともに年間の稼働率が100%となり、観客動員も273万人を記録した。29年、30年と3年連続で稼働率は100%を超え、特に30年は宝塚大劇場で102・8%、東京宝塚劇場で101・8%と過去最高となり、観客動員も277万人と過去最高を記録した。海外公演も行い、宝塚観劇を楽しむ訪日観光客も増えている。男性だけの歌舞伎とともに、女性だけの歌劇団という特殊な演劇スタイルも、世界を魅了する時代になっている。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)