阪神・淡路大震災は1月17日で25年、四半世紀になります。自らも被災しながら、被災者の心のケアに奔走した精神科医・安克昌(あん・かつまさ)さんをモデルにしたNHK土曜ドラマ「心の傷を癒(いや)すということ」(18日スタート、土曜午後9時、全4回)の第1話の試写と会見が先日、行われました。脚本を手掛けるのは「第54回ギャラクシー賞」奨励賞を受賞した桑原亮子さん(39)。初の連続ドラマへの思いを聞きました。

中途失聴の障害のため、桑原さんの両耳はまったく聞こえません。小学6年生の頃から徐々に聴力が落ち、大学時代には人の声が聞こえなくなりました。会見での質問はスタッフがモニターに文字を打ち込み、桑原さんに投げかける形で行われました。

脚本を書く上で最も大事にしたことについて「ご遺族にひとつお願いしたことがありました。いただいた資料では触れられていないことを知りたいと。想像で書いてしまうと、失礼な気がしたので」。02年12月、39歳で亡くなった安さんは幼いとき、両親が韓国生まれであることを知り、自らが何者なのか悩みました。人間・安さんを描くため、桑原さんは、生い立ち、苦悩、家族との絆など、丁寧に取材を重ねました。

「奥さんには、出会ったとき、どういう気持ちだったのか、どういうデートをしたのかと根掘り葉掘り、うかがいました。すてきなエピソードが多くて、ドラマチックすぎてドラマでは使うことができないかなって」。桑原さんが笑顔で取材エピソードを語ると、会見場は笑いに包まれ、なごみました。

第1話では安さんが自らの居場所を探し続ける青年時代を経て、妻・終子さんと出会い、長女が誕生します。心穏やかな日々を送っていた日常は、阪神大震災の発生で一変します。第2話以降、震災直後から避難所訪問を続け、被災地で「精神科医としてできること」を模索し、被災者の「心の傷」に寄り添い続ける姿を描きます。ドラマでは主人公を柄本佑、妻役を尾野真千子が演じます。

桑原さんは中学2年のとき、兵庫県西宮市で被災しました。「突然、違う世界に行ってしまったようでした。震災直後から見たもの、聞いたことを思い出さないようにしていた」。今回の企画のオファーがあったとき、地震を体験する装置に入り、揺れを体験しました。「装置は最大震度5強まででした。阪神大震災の揺れが再現できないんです。こんな揺れではなかった…、下からドーンと突き上げられ、フライパンの上でいられるような揺れだったはず…」。それでも身体に感じた揺れは閉じこめていた当時の記憶をよみがえらせました。「短い体験マシンでしたが、たくさんのことを思い出した。もしあの震災の体験がなければ、このドラマの脚本は書けなかった。私自身も小部屋の中に閉じこめていた25年と向かい合った」。

このドラマを制作するスタッフの思いも桑原さんを後押ししました。

約10年前に企画を立ち上げ、あたためてきた京田光広プロデューサーは「心のケアのパイオニアだった安さんのことをみなさんに知ってもらいたい。そんな気持ちをずっと持ちながら、机の中にしまっていました」と明かしました。

NHK連続テレビ小説「まんぷく」などの演出を手がけてきた安達もじりさんは「震災はあまりにも深く大きなテーマでした。素直に奇をてらわず、安先生に向き合うドラマをつくろうと。安先生の人生を誇張することなく、しっかりと描く。真摯(しんし)にやろうと思った」と話し、ドラマ制作について「ほぼONE TEAM(ワンチーム)でつくった。技術スタッフの中には被災地からの中継を担当した人もいた。人それぞれの思いがあり、感じ方があり、それぞれの思いが結集できるようにと旗を振りました」と制作スタッフの思いを代弁しました。

堀之内礼二郎プロデューサーは安さんが求めた理想をこう説明します。「安さんは心が傷ついた人にやさしい社会を願っていた方でした。このドラマをみていただいた方にはきっと、傷ついた方々にやさしい気持ちを持てるような、持ちたいなという気持ちが芽生えるんじゃないかなと思っています」。

阪神大震災から25年。強い信念で被災者に寄り添い続けた安さんが一番言いたかったことは? 桑原さんは考え続けました。「心の傷を癒やすのは精神科医に任せていたらいいというのではない。傷ついた人はそこに押し込んでいたらいい、いまはそんな風潮があります」。安さんは復興にどんな理想を託したのか? 「何かが起こったとき、助け合える社会であるかどうか。もし次の震災が起こったとき、隣の人、地域の人に一声かけていけるどうか。その1歩になるドラマであればいいな」。桑原さんの声が鮮明に聞こえました。【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)