先月24日に胆管がんで亡くなった川島なお美さん(享年54)の葬儀・告別式が2日、青山葬儀所で営まれた。関係者、ファン合わせて約1500人が参列し、大きな拍手に見送られて出棺した。パティシエで夫の鎧塚俊彦氏(49)が、女優として人生をまっとうした妻のため、本名の「鎧塚なお美」でなく「川島なお美」の名前で葬儀すると決めたことも明かされた。

 午後1時すぎ、位牌(いはい)を手に斎場から出た鎧塚氏は号泣していた。出棺前の喪主あいさつで「女優として貫き通してきた人生の緞帳(どんちょう)が下りようとしています。妻を代弁し最後のお願いがございます」と、参列者に呼び掛けた。「女房は拍手をいただくことが生きがいといっても過言ではありません。割れんばかりの大きな拍手で送ってください。アンコールはありません」。

 大きな拍手が起こると鎧塚氏は、川島さんの妹、さとみさんが持つ遺影に語りかけ、参列者に何度もおじぎした。拍手は、霊きゅう車が葬儀所を出るまで5分以上も鳴りやまなかった。

 川島さんは、各界著名人と共著した「私の死生観」(14年10月発売)で「アプローズ(拍手)の中で死んでいくって、女優じゃないとできないこと」と書いていた。あこがれの最期について書いた一文だが、拍手が無上の喜びだったことがよく分かる。

 最後に舞台に立ったのは、先月16日だった。鎧塚氏によると、そのころには肝臓が機能せず、腹水が5リットルにもなっていたという。医師に「あんな体で舞台に立てたのは奇跡」と言われたといい、舞台に立つことが気力の源だった。

 鎧塚氏は、遺品を整理している時に見つけた、昨年1月28日の手術前日に川島さんが書いたメモを読み上げた。「女優としてもっと可能性を広げ、映画、舞台、ドラマ、CM、ラジオ、もっともっと川島なお美を進化、熟成させる。人生の糧になる試練を与えてくださった神様、『戒めくん』、ありがとう。私はまだ生きます」。腫瘍は生活習慣を見直す「戒め」だったととらえ、あくまでも女優としての成長を願った。本来なら葬儀は本名で出すが、司会徳光和夫アナウンサーが、女優への思いを知っていた鎧塚氏は「川島なお美」の名前で出すことを決めたことを説明した。

 弔辞を読んだ女優倍賞千恵子(74)は、体調が悪い川島さんに「そんなに頑張らなくていいんだよ」と言うと、「チエさん、だって私、女優だもの」と言われたことを明かした。倍賞は弔辞を「尊敬と感謝と限りない愛を込めて。女優川島なお美様」と結んだ。

 川島さんは、桐ケ谷斎場で荼毘(だび)に付された。鳴り続けたカーテンコールは、女優として生きた川島さんを多くの人の心に刻んだ。【小林千穂】