「僕の人生の最大のチャレンジに、とても大きな力をくれた。平尾先生と、山口(洋子)先生がいなければ、五木ひろしはスターになっていなかった」

 五木は3度の改名を経て、71年に「よこはま・たそがれ」で再デビュー。そのきっかけとなったのは、グランドチャンピオンに輝いたオーディション番組「全日本歌謡選手権」。同選手権の1週目ゲスト審査員が平尾さん、2週目が「よこはま-」を作詞した故山口洋子さんだった。

 五木は山口さん、今年2月に亡くなった作曲家の船村徹氏(享年84)と、平尾さんの3人を「五木ひろしの大恩人」として、慕ってきた。73年にレコード大賞を獲得した「夜空」も平尾さんの作曲。恩師の死に「正直に言えば、まだ実感がわかない」と天を仰いだ。

 平尾さんの訃報は前日22日の舞台終演後に聞いた。昨年末のNHK紅白歌合戦で会っており「2年前より元気になっておられたので、本当にまさか、という思いでした」と語った。

 平尾さんは、五木としてのデビュー当時、キャンペーンに同行。「先生はレコード店の店頭に立って、道行く人に声をかけて、お客さんを集めてくれた。無名の僕では集まらないので、先生が頭を下げてくれた」。思い出は尽きない。

 平尾さんからは、テンポ感ある楽曲を多くもらった。その意味を「僕は重たい歌い方。あえてリズムのいい歌をくれた」ととらえ、思いやりに感謝する。五木は「僕が元気であれば、平尾作品も聴いてもらえる」と言い、歌の継承のため、追悼アルバムも検討しているという。【村上久美子】