TOKIOのリーダー城島茂(48)が13日、メインMCを務めるテレビ朝日系「週刊ニュースリーダー」(土曜午前6時)に出演し、9日に死去した所属ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)について語った。前日12日には、約150人の所属タレントが集合して都内で執り行われた家族葬に、城島も出席した。

城島は「昨日、実は集まったんですけど、家族葬でジャーズ、ジャニーさんに見いだされた子供たちが集まってみんなで見送った。バスで行って見送ったが、しめっぽくなるかなと思いきや、みんな笑顔で、先輩後輩関係なくグループの垣根も取り払って、ジャニーさんの思い出を楽しそうに語っていた。その雰囲気も社長の人柄から来るものかな」と家族葬を振り返った。

続けて「私自身、奈良の片田舎から出てきて、社長に見いだされた部分があって、ここで話をさせてもらっているのも社長のお陰かなと。うちのタレント大勢いるが、みんな同じようなことを口にしている。最初歌って踊るがジャニーズの基本だが、自分が踊れなかったので『ユーは何が出来るの』と言われ『ギターだったら出来る』と言うと『じゃあそれをやればいいじゃない』と、不得手なものよりも得意なものを伸ばせば良いんじゃないのという方だった。(人を見る力は)一緒に滝沢くんと、『どこを見ているんだろう』と話していた。ジャニーズオーディションに一度立ち会ったことがあるが、この子がいいなと思うことがあったが、この子ダメだよと。実は『シゲル、ユーこの子良いんだけど分かんなかった?この子いいよ』と。それが後にいいなといった子がV6の岡田くんだった。僕ら審査員みたいにいたが、岡田くんをスルーしていて、あの子が岡田君だったんだと。ジャニーさんは(輝く人が)ひとりだけいたと。どういう選球眼してんだと」と当時を振り返った。

ジャニーさんと最初に会ったときは、「1回面接しようとお会いした時にひと言、寂しそうな笑顔しているよねと言われた。大阪のホテルで待ち合わせして、エレベーター開いた瞬間に、ジャニーさんとロビーでお会いした。ジャニー喜多川って芸名みたいな名前で、日系人の背の高い人かなと思ったら低い人だった。オーラが無いんですよ。よくできる経営者の方はオーラがあったりするが、『オーラを出すのはタレントであり、裏方の自分は関係ない。いらない』と言っていた。そして最初に名刺を貰った」とジャニーズ事務所へ入るきっかけを語った。

最後に「いろんな各先輩方がコメントを出しているが、印象に残っている言葉は、10代の頃に地元で流行っている言葉にこんなのがあるよと言うと『ユー何言っているの。流行っているものを追いかけてはダメだよ。トシちゃんはレッグウオーマーを流行らせ、マッチは自分の髪形を流行らせた。タレントは流行を追いかけるのではなく、作るものだ。ユーはこれからもずっと人にマネしてもらえるモノ、流行を作り出す人間になりなさい』と言われた。なかなか難しいんですけど、ダジャレは多用するが、時代をリードするタレントになれたらいいなと思います。これからもジャニーズ一同よろしくお願いいたします」と話した。

ジャニー氏は6月18日に体調の異変を訴え、救急搬送された。城島は6日の同番組では、ジャニー氏について「病室で頑張っております。それ以上に我々も頑張らなきゃなと思っております」などと話していた。