現役最高齢の女性漫才師で漫才協会名誉会長の内海桂子(うつみ・けいこ)さん(本名・安藤良子=あんどう・よしこ)が多臓器不全のため22日午後11時39分に亡くなった。97歳だった。28日に所属のマセキ芸能社が発表した。遺族の意向で、27日に近親者のみで密葬を行った。昭和、平成、令和と東京漫才の第一人者として活躍したが、「100歳で現役」の目標はかなわなかった。

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内海さんは今年1月中旬まで漫才協会の公演に出演したが、1月末に体調を崩して入院。一時は回復しリハビリに励み、おかゆも食べるほどだったが、3月末に新型コロナウイルスの影響で見舞いが禁止となり、4月15日に24歳年下の夫でマネジャーの成田常也さん(73)も脳出血で入院した。回復した成田さんが23日に退院することが決まった矢先、内海さんの容体が急変。22日深夜、息を引き取った。成田さん、数年前に養子縁組した孫ら親族も間に合わなかった。名誉会長を務める漫才協会ではお別れの会を検討するという。

16歳の時に初舞台を踏み、漫才の世界に入った。50年に14歳年下の弟子内海好江さんと女性漫才コンビ「桂子・好江」を結成。時事ネタを取り入れたテンポのいい笑いで、東京漫才の第一人者として人気者になった。97年に好江さんが亡くなった後は、ピン芸人として1人で舞台に立った。乳がん、骨折、肺炎など病気やけがと闘いながら、三味線を弾いて自作の都々逸を披露。晩年も好きな日本酒の晩酌は欠かさず、肉も大好きで、「100歳まで現役」を目標にしていた。

また、漫才協会会長も務め、ウッチャンナンチャン、ナイツなど若手育成にも尽力した。未婚ながら、長男と長女の2人の子供を育て上げた後、99年に内海さんのファンだった成田さんと結婚。10年からツイッターも始め、成田さんの協力も得て毎日のように更新して約50万人のフォロワーがいたが、4月14日を最後に更新が途絶えていた。

密葬では養子縁組した長男の息子が喪主となり、成田さん、長女ら親族と、芸人仲間では大瀬うたじと中津川弦の約20人が参列した。戒名は「桂雲院粋譽良光大姉」。ひつぎには愛用の留め袖が入れられ、長女の「お桂ちゃん、出番だよ」の声に送られて、好江さんが待つ天国に旅立った。

◆内海桂子(うつみ・けいこ)本名・安藤良子。1922年(大11)9月12日、東京・浅草生まれ。38年に高砂屋とし松との漫才コンビでデビュー。50年内海好江とコンビ結成。87年日本放送演芸大賞功労賞、88年花王名人劇場功労賞、90年浅草芸術祭大賞、94年NHK放送文化賞など受賞多数。89年に紫綬褒章受章、95年に勲四等宝冠章。98年に漫才協団会長就任、05年に社団法人漫才協会になると07年まで会長を務めた。血液型A。