お笑いトリオ「レツゴー三匹」のレツゴー正児さん(本名・直井正三)が9月29日午後5時48分、肺炎のため、大阪市内の病院で亡くなっていた。所属の松竹芸能が2日、発表した。

80歳だった。葬儀はこの日午前、大阪市内で、遺族の意向により、近親者のみの「家族葬」として終えた。

松竹芸能によると、正児さんは「3カ月ほど前に調子が悪いと訴えて、病院へ搬送された」といい、当初は意識もあったが、9月下旬になって、厳しい状態になったという。

最後の舞台は14年6月15日、大阪・天満天神繁昌亭での寄席。正児さんは同年に認知症を公表し、以後は仕事を控え、療養に努めていた。

正児さんは、故レツゴーじゅんさん(享年68)、故レツゴー長作さん(享年74)と組んだトリオ漫才のリーダーとして活躍し、上方漫才大賞も受賞。上方演芸史に大きな足跡を残した。

14年5月、3人の中で最初に“末弟”的立場だったじゅんさんが急死。当時、取材に応じた正児さんは、憔悴(しょうすい)しきった様子で「(じゅんさんとは)家が近くて、じゅんの家の前を通って、犬の散歩をするのが日課だった。ここ最近、仲良くしていて、5日前にもじゅんとお茶をしたばかりだった。訃報を聞き、ただ信じられず、涙が止まりません」と、茫然(ぼうぜん)とした表情のまま、話していた。

正児さんはその直後、同年6月に、認知症と診断されたとして、妻が公式ホームページで公表。以後は仕事を控え、療養に専念していた。

正児さんは香川生まれながら、子供のころに大阪へ移り、故2代目桂春蝶さん、6代目桂文枝らと同じ高校を卒業した。実兄は、吉本新喜劇で座長も務めた関西を代表する名物芸人だった故ルーキー新一さん。高校卒業後には、一時期、故横山やすしさんと漫才コンビを組んでいたこともあった。

兄新一さんを頼り、吉本新喜劇に入ったこともあったが、兄とともに離れた後、68年に「レツゴー三匹」で初舞台。69年から松竹芸能に所属し、古くは千日劇場、後は道頓堀角座と、浪花の演芸場を中心に活躍。「じゅんでーす」「長作でーす」の名フレーズで始まる口上では、正児さんが「三波春夫でございます」と締め、大人気を博した。

故山城新伍さんの強い引きで、テレビ朝日系「笑アップ歌謡大作戦」へもレギュラー出演するなど、知名度は全国に響いた。73年には上方漫才大賞を受賞した。

90年代以降は、トリオでの活動が休止状態となり、じゅんさん、長作さんは俳優活動に軸足を置き、正児さんは講演活動や漫談で活動。09年8月、高校時代から親交のあった2代目春蝶さんの長男桂春菜(当時)が3代目を襲名すると、その興行で久々にトリオを復活した。

親しい関係者によると、当時、3人での顔合わせを実現させたのが、じゅんさんだったといい、正児さんにとっては、最初にじゅんさんが亡くなったことで、甚大なショックを受けていたという。

松竹芸能によると、新型コロナウイルスの感染拡大状況もあって、現状では、お別れの会などは予定していないという。