フリーアナウンサー生島ヒロシ(70)がパーソナリティーを務めるTBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」(月~金曜午前5時)が、来月5日に6000回目の放送を迎える。1998年(平10)4月6日の放送開始から、さらにさかのぼって生島の人生の歩みを連載「生島ヒロシ6000回の歩み」と題して振り返る。

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アメリカに渡って1年間はアルバイトでお金をためて、次の1年はフルトン・コミュニティー・カレッジに通いました。

アメリカではカウンセリングを受けて、あなたはどういう方向に行きたいのか? ならば、どういう授業を受けたらいいかを、カウンセラーがちゃんと教えてくれるんです。でも、日本と違って、1から10まで全部、自分でやらなくちゃいけない。当然のことながら、全部英語です。教科書を使わない授業なんか、何を言っているのか全然分からない。もう、必死でした。

教科書のある授業は、先輩の使った中古本を買ってきて受けました。マーカーで、たくさん色が着いていました。あの頃、日本にまだ、マーカーがなかったんですよ。赤ペンでアンダーラインを引くだけです。

勉強の仕方は、初めに教科書をバッと読む。それで、2回目に意味の分からない単語にマーカーで印を付けながら読む。辞書で調べて、3回目に意味を考えながら読む。そして、4回目に暗記しながら読む。5回目で全部暗記して、何が来てもいいようにする。試験の時は、いつもこの5回法というので、乗り越えてきました。

最初は全然、ついて行けませんでした。でも、だんだんと半年くらいして、ついて行けるようになっていきました。成績は、僕の時代は上からA、B、Cとあって、Aが4ポイント、Bが3ポイントという具合に計算して、GPA(グレード・ポイント・アベレージ)で、平均の点数がはっきり出てきます。数字で、はっきり出てくるから油断できないっていうか、気を抜けないんですよ。そこは入ってしまえば、適当にやっておけばいい日本の大学とは、全然違います(笑い)。

フルトン・コミュニティー・カレッジに入学した時点で、僕は上の大学に行こうと考えていました。日本の法大の2年間、ここでの1年間の単位次第で、上にステップアップできるんです。USヒストリーとUSガバメント、あとイングリッシュワンハンドレッド。つまりアメリカの歴史と政治、あと基礎の英語。この3つの基本は、必須なんですよ。日本の成績があるから、この3つの科目は最低でも取って、点数がよければ大学に進める。

だから、一生懸命やるわけです。ヒストリーに関しては、夜のクラスを取ったんです。皿洗いとか、ウエーターの手伝いとか、働きながら通っていました。仕事を3つか4つやりながら、生活していたんです。日本では昼間部、夜間部という区別があったけど、アメリカは昼でも夜でも関係ない。働きながら学校に通っている生徒がたくさんいて、自由に取れる。夜のほうが、正直言って楽なんですよ。

その夜のクラスで、僕は英語もしゃべれないのにUSヒストリーの成績で1番になった。そうしたら、みんなが「あいつはカンニングしてるんじゃないか」って。「冗談じゃない。俺は日本の国から選ばれてきた留学生だ。しかも、空手はブラックベルト(黒帯)だ」とビシって言うんです。将来はアメリカじゃプレジデント(大統領)だけど、俺は日本でプライムミニスター(首相)になる男なんだと。そういうことをガツンと言わないと、認められないんです(続く)。

◆生島(いくしま)ヒロシ 1950年(昭25)12月24日、宮城県気仙沼市生まれ。71年に法大経営学部を中退して渡米。75年カリフォルニア州立大ロングビーチ校ジャーナリズム科卒。76年TBS入社。89年にフリー。現在のレギュラーはTBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食・おはよう一直線」(月~金曜午前5時)。長男は俳優生島勇輝(36)次男は俳優生島翔(35)。血液型A。