元SDN48で作家、ライターとして活躍する大木亜希子氏(31)がこのほど、日刊スポーツのインタビューに応じた。「元アイドル」という“十字架”に対する思いは、非常に興味深かった。

大木氏は著書「アイドル、やめました AKB48のセカンドキャリア」(宝島社)で、8人のAKB48グループ出身者にインタビューしている。同書の書き出しがまず印象的だ。「2011年12月31日。22時30分。私は、さっきまで自分が出演していた『NHK紅白歌合戦』の続きを観ていた」。200人以上が同時にパフォーマンスしたAKB48グループの一員として、“紅白出場歌手”となった一部始終がリアルに描写されていた。

11年といえば、6月に開催された選抜総選挙で前田敦子(29)が1位に返り咲き、8月に発売され、今なお代表曲の1つであるシングル「フライングゲット」が日本レコード大賞に輝くなど、まさにAKB48が社会現象にもなった年だった。翌12年3月にSDN48は全員卒業となるが、大木氏が一大ブームの渦中にいたことは間違いないだろう。

大人数が所属するグループは競争も激しい。一世を風靡(ふうび)したAKB48グループでも、当然全員が人気メンバーだったわけではない。それでも大木氏は、過去の話をすることをためらわない。「売れてないメンバーでした。選抜に1ミリも入らなかった。今思えばそんなことないんですけど、当時は人として終わってると思いました」。“自虐ネタ”でもなく、愚痴でもない。必要以上に感情を込めずに、事実として当時を振り返って、述べた。

同書では、元SKE48の佐藤すみれさんや元NMB48河野早紀さんら8人のAKB48グループ出身者らにインタビューした。中にはアイドル生活が順風満帆ではなかった元メンバーもいる。それでも取材が実現し、それぞれが赤裸々に当時の心境を明かしている。大木氏のライターとしての実力だけではなく、同じような境遇も経験している“安心感”のようなものからだろう。

大木氏はSDN48卒業後3年間、地下アイドルの活動やバイトで生活した。食事の席で初めて会う人から「君は、どんな仕事をしているの?」と聞かれると、当時の自分への自信のなさから「元48グループのアイドルです」と答えていたという。かつては紅白歌合戦にまで出演したのだ。そう簡単には切り替えられなかったのだろう。

それでもインタビューの最後に大木氏は「今は自信を持って(自分がライター・作家だと)言えると思います」と笑った。「元アイドル」という肩書は切っても切り離せないもので、時には色眼鏡で見られることもあるが、「キャリアに関係なく認めてもらえるように、頑張っています。行きます!」と力を込めた。

ライターとして確かな実績と実力をつけたからこそ、“十字架”を“武器”に変換させることができたのかもしれない。【横山慧】