どんな達人にも無力の駆け出し時代がある。多様なキャラクターを変幻自在に演じ、三谷幸喜、是枝裕和ら人気演出家から指名を受ける女優斉藤由貴(54)にも、未熟さに悩み、泣くばかりの日々があった。ニッカンスポーツ・コムの取材に応じ、85年の映画デビュー作「雪の断章-情熱-」(相米慎二監督)の撮影当時や、風変わりだった思春期のエピソード、さらには独特の人生観も語った。全3回。【取材=松田秀彦、島根純】

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「雪の断章-情熱-」撮影中、突き放すような態度を続けていた相米監督が、撮影終盤のある時、ふと声を掛けてきた。意外な言葉だった。「おまえは、芝居に余計なものをくっつけていて、本当にダメなやつだと思うけど、いい女優だとは思うから、10年後か20年後か分からないけど、また仕事を一緒にやれたらいいよな」。

予想もしない言葉に、まともに返事ができなかった。

「この人は急に何を言っているんだって。そんなことはあるわけがない。ふざけんなって思ったんです」。

ところが、それは現実になる。「雪の断章」から13年後、出演依頼が届いた。家族の姿をユーモラスに描く映画「あ、春」で、佐藤浩市演じる主人公の妻を演じた。

「出演の話が来た時、これがあの時に言われたことなのかなと。すごく嫌だと思いましたが(笑い)それでも、これはやらなければいけないと思い直し、『やります』と即答しました。ここで嫌だと思ったら、負けじゃないですか(笑い)」

長い時を経て再会した相米監督は相変わらず手厳しかった。

「(撮影前の)本読みの時に、監督を見たら、あきれたような顔でせせら笑っていたんです。むかつきますよね(笑い)。撮影が始まっても『おまえ、ダメだな』と言われました」

「あ、春」公開から3年後、相米監督は53歳の若さで亡くなった。没後20年を迎えた今、あらためてデビュー映画を見ると、さまざまなことが頭をよぎる。

「つらく厳しかったことばかり思い出すので、しばらく見ることができない時期があったのですが、2年前に監督の故郷、青森県田子町で開かれた監督をしのぶ映画祭に行った時、久しぶりに見ました。人間というものが持つ弱さや業(ごう)や切なさみたいなものに対して、それを受け入れるとてつもない愛情、包むような優しさみたいなもの、それらを受け入れるのが人生なんだよ、という監督の思いを感じました」

今もなお女優として活躍できているのは、当時の経験があってこそ、と言う。

「今でしたら、ほとんどパワハラに抵触するんじゃないか、ということがたくさんありましたけど、私は全然そうは思っていません。あの経験があったからこそ、その後、自分の中にある演技での爆発力みたいなものにつながっていったんじゃないかなと思っているんです」

独特の人生観にもつながっている。

「(向き合う仕事は)できれば厳しいだけでなく、訳が分からないぐらいがいいと思います。これって必要?みたいな状況をくぐり抜けることが大事なことのような気がします。ふざけんなよ、みたいなことを、なにくそと思いながら必死にやっていくと『くぐり抜けたぜ』って感じられる時が来る。もちろん程度はありますが、理不尽って大事かも知れません。ちょっとおかしいかな(笑い)」

(つづく)

◆斉藤由貴(さいとう・ゆき)1966年(昭41)9月10日、横浜市生まれ。84年「ミスマガジン」でグランプリ。85年にシングル「卒業」で歌手デビュー、フジテレビ系「スケバン刑事」で連続ドラマ初主演、「雪の断章-情熱-」で映画デビュー。86年にNHK連続テレビ小説「はね駒」でヒロイン、平均視聴率は41・7%を記録。同年にNHK紅白歌合戦に初出場。87年に「レ・ミゼラブル」で初舞台。デビュー映画「雪の断章-情熱-」が初dvd化されて発売中。映画「子供はわかってあげない」が公開中。161センチ。血液型B。