話題の映画がそろう夏休みシーズンが、今年は一段とにぎやかです。コロナ禍で公開を控えていた作品が続々と登場し、百花繚乱(りょうらん)の様相。思い出に残るような作品が必ず見つかるはずです。夏休み映画は時々の記憶に重なり、その年を象徴する一面もあります。【相原斎】

夏休み映画を振り返るとその時代が見えてきます。その年の出来事との不思議なつながりを感じさせることもあります。

62年の夏は「キングコング対ゴジラ」です。東宝が本家の米RKO社に払ったコング使用料は当時の映画製作費3本分に相当する8000万円。日本の怪獣映画の主流となる対決モノの原点となりました。

日本公開の6日前に、36歳のマリリン・モンローがロサンゼルスの自宅で不審死。メディアを騒がせました。実はこの年の6月に、ジャニー喜多川氏が姉メリーさんとともにジャニーズ事務所を立ち上げています。ハリウッド黄金時代の最後を飾った女優が亡くなった年に、日本ではエンタメの「大木」が芽吹いたことになります。秋には英国でビートルズがデビュー。大きな変換の年だったのです

翌63年の8月は何と言ってもスティーブ・マックイーン主演の「大脱走」です。映画字幕で知られる戸田奈津子さんは「マックイーンがとにかくかっこよかった。他のキャストもチャールス・ブロンソン、ジェームズ・コバーン…その後大活躍する人ばかりでした」と振り返ります。同じ月には、学生服姿の舟木一夫が「高校三年生」でデビュー。坂本九の「上を向いて歩こう」がアメリカでチャート1位になりました。

リアルな描写でギャング映画の常識を覆した「ゴッドファーザー」の公開は72年7月です。日本の政界は劇的なボス交代の夏です。佐藤栄作首相が退陣。最年少で総理となった田中角栄氏が新内閣を発足させたのが映画公開の1週間前でした。フランシス・フォード・コッポラ監督は何度も来日し、その度に東京・砧のNHK放送技術研究所を訪れています。当時の日本はデジタル映像技術の最先端を走っていたのです。

75年の8月に公開された「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」は浅丘ルリ子を2度目のマドンナに迎えて大ヒット。この年の正月映画「-寅次郎子守唄」とともに年間映画興行の1、2位を占め、15作目にして「寅さん」が盆暮れの風物詩として定着しました。

「スター・ウォーズ」公開はその3年後の78年6月。画期的な特撮技術はもちろん、現在スタンダードとなっているドルビー・サラウンド・システムを初めて使用したのもこの作品でした。今では当たり前の全スタッフの名前を紹介する長尺エンディングも、ジョージ・ルーカス監督が技術スタッフに敬意を表してこの作品から始めました。

定番の「寅さん」と、技術革新とリンクした「スター・ウォーズ」シリーズが、安定志向の日本とイノベーション優先の米国を象徴しているように思えます。

この年の夏休みも終わりに近づいた8月26日、こちらも定番となる「24時間テレビ」を日本テレビが初めて放送しています。

97年は忘れられない夏です。6月末に神戸連続児童殺傷事件で少年が逮捕されました。この2週間後に公開されたのが「もののけ姫」です。ロングランの末、日本映画の記録を塗り替えるヒットとなり、今ではジブリの古典的名作の1つですが、当時は腕や首がもげるシーンが事件を連想させるとして一部から批判を受けました。根底に生命の尊さをうたっていることに間違いありませんが、場面を切り取れば残虐に見える部分があることも確かです。ダイアナ元妃が悲劇の事故死を遂げたのもこの夏休み最終日の8月31日でした。

◆相原斎(あいはら・ひとし) 1980年入社。文化社会部では主に映画を担当。黒沢明、大島渚、今村昌平らの撮影現場から、海外映画祭まで幅広く取材した。著書に「寅さんは生きている」「健さんを探して」など。小学1年の夏休みに見た「キングコング対ゴジラ」が最初に記憶に残る映画。沈んだゴジラと泳ぎ去るコングのいったいどちらが勝ったのか。そればかり考えていた。コングびいきの有島一郎さんの、ひょうひょうとした演技をなぜか鮮明に覚えている。