がんで闘病中だった音楽家の坂本龍一(さかもと・りゅういち)さん(本名同じ)が3月28日に71歳で亡くなった。2日、所属事務所が発表した。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成しリーダー、プロデューサーを務めた細野晴臣(75)は訃報発表当日、深夜に放送の自身のラジオ番組でYMOを特集していた。1月に70歳で亡くなった高橋幸宏さんに続く盟友の死にインスタグラムで「言葉にはできません」と悲痛な思いをつづった。

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坂本さんの訃報は2日午後10時前に発表された。14年に患った中咽頭がんは寛解したが、21年に直腸がんの治療を公表。所属レーベルのエイベックスは「2020年6月に見つかった癌の治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした」と3年弱に及んだ闘病の日々を明かした。

坂本さんの死の公表から3時間後、東京のラジオ局インターエフエムで細野がパーソナリティーを務める「Daisy Holiday!」(日曜深夜1時)が放送された。細野が完全監修・編集し事前収録されたもので内容は00年の高橋さんとのトークを再編集したものだった。

トークの中で、高橋さんは細野が70年代後半から80年代初頭に活躍した英国のバンド「ザ・セレクター」を愛好していたと明かした。細野も、80年のYMO4枚目のアルバム「増殖-X∞Multiplies」が「同じサウンドだからね」と影響を受けていたことを認めた。そして「YMOも、ギターバンドになっちゃえば…教授は『(リズムの)ズンチャ、ズンチャ』しか出来なかった」と笑った。高橋さんも「絶対、怒ったと思う、教授。『何が楽しいの?』とか言ったかも知れないし」と答えた。

細野は放送後、インスタグラムのストーリーズに「今回の手作りデイジー 何も知らずに作ってました(中略)YMOの回になったのは偶然です。でも何かを感じていたのかもしれない」とつづった。83年(昭58)にリリースした、YMO11枚目のシングル「Be a Superman」を1曲目に選曲したのも「決めたのは28日でした 楽しくも苦しい時代を思い出していました」と、図らずも坂本さんが亡くなった当日だったと明かした。

今年に入り3カ月で、3人だったYMOは最年長の細野1人になってしまった。「知らせはいつも不意に訪れる。言葉にはできません」というくだりには、筆舌に尽くしがたい沈痛な悲しみが刻み込まれた。