能登半島地震発生から2カ月が過ぎた。いまだ多くの被災者が避難生活を続け、不自由な生活を余儀なくされている。11年3月11日に発生した東日本大震災から13年という時期が重なり、震災の恐ろしさが増幅している。

被害の特に大きかった石川県を舞台にした歌は数多い。その歌を歌う歌手たちも、心を痛めている。

北島三郎のヒット曲「加賀の女」(69年)は、金沢市が舞台。「函館の女」「博多の女」などに続く「女(ひと)シリーズ」の1曲で、ヒットした。

北島事務所はホームページですぐに「令和6年能登半島地震によりお亡くなりになられた方々に心よりお悔やみを申し上げますとともに、被災された皆様には謹んでお見舞い申し上げます。1日も早い復旧と復興されますことを心より願っております」とメッセージをつづった。

77年発表の「能登半島」は、石川さゆりの代表曲の1つである。恋する人を追って、夏から秋へ能登半島を訪ねる女心を歌った。同曲のヒットで、能登半島には観光客があふれた。

今年2月にNHK「うたコン」に生出演した石川は、同曲を熱唱した。歌唱後、「なかなか言葉が見つからないですけど、必ず、私たちもまた行きます。どうぞ、お元気でいてください」と話した。

同じく能登半島を舞台にした坂本冬美のヒット曲「能登はいらんかいね」(90年)の歌詞には「御陣乗(ごじんじょ)太鼓」が登場する。輪島市に約450年前から伝わる石川県指定の無形民俗文化財で、仮面を被った男たちが、勇壮に太鼓を打ち鳴らす。かつては美空ひばりさんが「太鼓」という曲を、北島も「御陣乗太鼓」を歌っている。

保存会の人々らと何度も共演している坂本は「かつてその勇壮な太鼓で敵の奇襲を撃退したのですから、どんな困難にも負けずに復興の先駆けになると信じております」とメッセージを送った。坂本はすぐに義援金を寄付している。

ご当地ソングの女王の水森かおりは、輪島市を舞台にした「輪島朝市」(08年)を歌っている。恋に破れた女性が「強く生きろよ」と励まされる名曲だ。水森は一部の取材に「いつか『かおりちゃんの歌を聴きたい』と思っていただけたなら、すぐにでも飛んでいきたい。これからも輪島に寄り添っていきたい」と答えている。

「能登の女(ひと)」(22年)を歌う細川たかしも、地震発生直後のイベントで「能登の皆さんが大変ご苦労していると思う。本当に頑張ってほしいと思います」と話した。

このほか、「ビュッフェにて」(松任谷由実)「金沢の雨」(川中美幸と城之内早苗)「金沢の夜」(都はるみ)「銭五の海」(鳥羽一郎)「白山雪舞い」(丘みどり)「能登絶唱」(市川由紀乃)「能登の恋歌」(大川栄策)「能登しぐれ」(大石まどか)「恋路海岸」(村下孝蔵)「七尾しぐれ」(多岐川舞子)「珠洲岬」(岡田しのぶ)など、石川県を舞台にした数々の歌がある。

歌手が慰問に行くには、まだ環境が整っていないだろうが、いつか被災者に歌声を届けてほしい。【笹森文彦】