レオナルド・ディカプリオを一躍スターダムに押し上げたのが「タイタニック」(97年)だ。
公開の半年後、日本の配給会社の幹部から「ボーナスが35カ月分出た」と打ち明けられたことをよく覚えている。それだけすさまじいヒット、人気ぶりだった。
後から知ったが、ちょうどその頃、ディカプリオには1本の出演オファーが寄せられていた。新人登竜門のサンダンス映画祭で注目され、初の長編「ハードエイト」を撮ったばかりのポール・トーマス・アンダーソン監督の野心作「ブギーナイツ」への主演だった。
実在したポルノ男優をモデルにした内幕モノと、内容はかなりエグかった。正統派二枚目の地位を確立したばかりだから、断るのも無理はなかったと思う。が、後年、本人はこの時の判断を「人生最大の後悔」と振り返っている。
代わってマーク・ウォールバーグが主演した「ブギーナイツ」は、90年代ハリウッドを代表する一作と評され、翌年アカデミー賞3部門にノミネートされた。その後のアンダーソン作品も社会からの疎外や孤独、家族の機能不全を題材にして評価を高め、カンヌ、ベルリン、ベネチアの3大映画祭すべての監督賞を制覇した唯一の監督となった。
興行的な成功はおさめても、「演技力の証」となる賞に、なかなか縁がなかったレオ様にとっては、どうしても組みたかった存在だったのだ。
その28年来の念願をかなえたのが、公開中の「ワン・バトル・アフター・アナザー」だ。レオ様は、娘を救うために時代遅れの革命家魂を爆発させる父親役を生き生きと演じている。ショーン・ペンやベニチオ・デル・トロといった個性的な演技巧者を相手にひけをとらない好演だ。こういう作品をやりたかったという思いがひしひしと伝わってくる。
賞でいえば、9年前の「レヴェナント:蘇りし者」で念願のアカデミー賞主演男優賞を射止めている。生き生きとした演技の一因にはそんな余裕もあったのかもしれない。
初オスカー3年後の19年夏に来日したときのことを思い出す。主演映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のクエンティン・タランティーノ監督とともに都内のホテルで会見した。
ブラッド・ピットとの共演で、69年のハリウッドを舞台に落ち目のアクション俳優と専属スタントマンの悲哀を演じた作品だ。
レオ様は「ブラッドも僕もまあ、うまくいっている方だけど、映画界ではいつの間にか中心から外れて、取り残されてしまう感じはよく分かる。それでも消えないスタッフとの信頼関係もね」と明かした。
端からみれば順風満帆でも、アカデミー賞では5度のノミネートを経てようやくの主演男優賞。内心抱き続けていた焦燥感をうかがわせるコメントだった。そして、スタッフとの信頼関係を大切にするレオ様にとっては、アンダーソン監督とのタッグが28年遅れたことへの後悔の深さも想像がつく。【相原斎】



