河瀨直美監督(56)が、22年の東京五輪公式記録映画「東京2020 SIDE:A、B」以来4年ぶりの新作映画「たしかにあった幻」で、20年「朝が来る」以来、6年ぶりに劇映画に挑んだ。
カンヌ映画祭(フランス)で新人監督賞「カメラドール」を受賞した97年「萌(もえ)の朱雀(すざく)」で、演技未経験ながら主演に抜てきして俳優へと導き、07年の同映画祭グランプリ受賞作「殯(もがり)の森」にも主演した尾野真千子(44)と、同作以来19年ぶりにタッグを組んだ。これまで自身の作品に出演してきた、北村一輝(56)と永瀬正敏(59)も、今作に大きな力を与えた。3人と作品への思いを熱く語った。【村上幸将】
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「たしかにあった幻」は、小児臓器移植実施施設となっている神戸の臓器移植センターが物語の舞台。フランスからやってきたレシピエント移植コーディネーターのコリーが、脳死ドナーの家族や臓器提供を待つ少年少女とその家族と関わりながら、命の尊さと向き合う。同時に突然、失踪した恋人の迅の行方を追う姿を通して愛と喪失、希望を描く。コリーをルクセンブルクの俳優ビッキー・クリープス(42)迅を寛一郎(29)が演じた。
尾野は、移植を待つ子供や家族に弁当を届ける、めぐみをを演じた。最愛の息子を病で失い、一周忌を迎えても救えなかったと罪悪感にさいなまれながらも、息子に付き添った当時、友人からもらった弁当に温かみを感じた経験を踏まえ、弁当屋を営む女性の役どころだ。1月22日に東京・テアトル新宿で行われた完成披露上映会で「ある時『真千子、主演以外やるの?』って連絡がきて…やるって」と河瀨監督からのオファーを明かした。
河瀨監督は、実は1度、尾野からオファーを断られていたことを明かした。
「真千子は、1回はこの役を断りましたので『真千子しか、おれへん』と口説きました。『本当は、なーちゃん(河瀨監督)とは主演でやりたい』と断られたのを『でも、この役は真千子しかできへん』と、しつこく追いかけると、折れてくれて『行くわ』と言った」
尾野は、撮影前にロケ地で2週間生活させるなど、俳優陣に役を生きるために必要なこととして行う独特の演出“役積み”など、妥協のない河瀨監督の映画作りを、骨身に染みて知っていた。だから「地獄の日々が始まるので、何を勉強すれば、どうすれば良いんだろうと考えても、まとまらず」と悩んだと吐露。「普通は役作りするんだけど、通用しない。何、言われるか分からないけど身1つで行けば正解だと思った」と腹を決めて撮影現場に入ったと振り返った。
河瀨監督も、尾野が詳しくは語らずとも、その覚悟は感じ取っていた。
「彼女は半端なことでは来ないから。日本映画の、あらゆるところで日本を代表する俳優になっていますから、マネジャーもつけてくるし、自分専属のメーク、スタイリストもいるでしょう。けど『でも、なーちゃんの現場は、リュック1つで、自分1人で行くよ。そうじゃないと、納得しないでしょ』と。私のところから巣立ち、百戦錬磨、いろいろなところでやってる女優さんですけど、ここに来るなら、裸一貫やな、と分かっている」
尾野は「殯の森」で、子どもを亡くしたことがきっかけで夫と別れた真千子を演じている。河瀬監督は、19年ぶりのタッグで、同じ境遇の役を演じ終わった尾野の姿に、感慨のひと言では言い表せない思いを抱いたと振り返った。
「『殯の森』で息子を亡くした喪失と、よく似ている(役どころだった)。『殯の森』の時は、シーンが終わるまでは監督と話してはいけないというルールを作り、ずっと話しかけもしなかった。主演でしたからね。お風呂のない4畳半一間の部屋に住んでもらって、自転車で食料を買いに行ったり、自分でやってもらい、シーンが終わったら、抱き締めて『ちゃんと見ていたからね』と言ったんです」
「あれから20年近くたって、尾野真千子として旅をして帰ってきた時に、また子供を亡くす役。(俳優として)もっと、すごくなっていた。『殯の森』の経験があるから、真千子は私に何を要求されても、私は尾野真千子として、ここに立っているよ、という感じだった。でも、そのショットの後『ありがとう』って言って、抱き締めにいったのは変わらない。『なーちゃん、私はやったで。全部、置いていくから後は頼む』という感じだった。この後、何年たっても、尾野真千子として現場に来てくれると思えました」
元捜査一課の刑事で、めぐみを手伝う亮二を演じた北村は、05年「主人公は君だ!」や09年「狛-Koma」と短編に起用してきたが、長編への起用は初めて。尾野との共演も、意外にも初めてだったが、信頼は揺るぎなかった。
「それ(覚悟を決めて現場に入ること)は、北村一輝も同じなんで。2人が、初めてとは知らなかった。現場で会うて、もちろん、お互いは知っていて、初めてセッションしてくれた。同じ関西出身で、ポテンシャルは完全に持っている」
15年「あん」以降、17年「光」、18年「Vision」と連続で主演し、近年、河瀨組の常連となった永瀬正敏(59)には、息子が突然、脳死状態となりドナーとなることを決断する父という、物語の根幹に関わる役どころを託した。永瀬は完成披露上映会で「弟を15、16で亡くして…心臓の病気だったので」と、3歳下の実の弟を心臓の病で亡くしていたことを明かした。そして「(ドナーから心臓を)もらうことがあれば、おっさんになって、そこに座っていたかも知れないけど、ずっと一緒にいる気がする」とも語った。
河瀨監督は、永瀬が故郷・宮崎の都城弁(みやこんじょ弁)を使ったところに、演じることを超えた思いがあったとたたえた。
「弟さんが心臓病で亡くなっていて、その時の、ご両親の様子も見ている。こういう現場にに彼を置くということが、言うたら、すごい役積み。自らの出自を持ってきてくれているわけですから。これによって、彼らがオープンマインドになり歴史的な表情を出す」
次回は「たしかにあった幻」では監督と俳優、自身が俳優として出演し、25年の第38回東京国際映画祭で、主演の福地桃子(28)とともに最優秀女優賞を受賞した「恒星の向こう側」(中川龍太郎監督)では義理の親子を演じた寛一郎(29)への思いと、監督、俳優としての自身の今後を聞いた。
◆「たしかにあった幻」国際人材交流事業の一環で日本へやってきたフランス人女性コリー(ビッキー・クリープス)は、臓器の移植を必要とする人と関わるレシピエント移植コーディネーターとして、日本で数少ない小児心臓移植実施施設の病院でサポートスタッフとして働き始める。移植を待つ重症の小児を多く受け持つ病院では、限られた人員で必死に日々の業務をこなし、切実な状況にある患者やその家族と向き合っていた。コリーは厳しい環境の中でも、患者の家族をはじめ従事する医師や看護師、コーディネーター、保育士や院内学級の先生らと触れ合ううちに、移植医療をめぐる人々の輪の温かさを再認識していく。そんなある日、屋久島で出会い、心を支えてくれていた恋人の迅(寛一郎)が同居していた家から、何の前触れもなく消えてしまう。



