小柳ルミ子(73)が歌手デビュー55周年を迎えた。1971年(昭46)の今日4月25日に「私の城下町」でデビューした。前年70年4月からNHK朝のテレビ小説「虹」に1年間出演。芸能活動は女優がスタートだった。今年3月3日に記念曲「愛は輪廻転生」を発表した。その歌詞「私、人生のプロですから」を地で行く55年を、3回連載で振り返る。第1回は「失笑から始まったスターへの道」です。(敬称略)【笹森文彦】
71年4月25日、東京・内幸町の帝国ホテル。大宴会場に「スター誕生」の大看板が掲げられた。
音楽、放送、出版など各界の重鎮たちが勢ぞろいしていた。渡辺プロダクション(略称ナベプロ)、レコード会社が総力を挙げて小柳を売り出す、盛大な発表会だった。
小柳は「スター誕生」の言葉に恥ずかしさを覚えたが、大勢を前によどみなくあいさつ。
デビュー曲「私の城下町」(作詞・安井かずみ、作曲・平尾昌晃)を、情感たっぷりに歌い上げた。
<歌詞>格子戸をくぐりぬけ 見あげる夕焼けの空に…
小柳は当時を振り返り「歌手デビューする前に、女優としてNHKさんのドラマに出演させていただいたことが、とても生かされました」と話した。
3歳からクラシックバレエ、歌、ピアノ、日舞など八つの習いごとに通った。
母・愛子さんは小柳がおなかにいる妊娠8カ月の時、近くの映画館で美空ひばりの公演を見た。客席でおなかをさすりながら「あなたもああなるのよ」と言って聞かせた。果たせなかった自身の夢を託したのだ。
母娘の夢は明確だった。宝塚歌劇団から、最大手のナベプロに入り、歌って踊れる一流の芸能人になることだった。
宝塚音楽学校を首席で卒業し、宝塚歌劇団の初舞台を経験後、わずか2カ月で退団。すぐにナベプロに入った。すべて、計画通りに進んでいた。
ナベプロが経営する東京音楽学院でレッスンを受けながら、歌手デビューを待った。ところが、女優からのスタートだった。
小柳は「あれ、なんで女優からっていう、私の中では遠回りをするような気持ちになっていました」と当時の心境を語る。
すべては「歌手デビュー前に顔と名前を売る」という戦略だった。
その足掛かりが、すでに国民的番組になっていたNHK連続テレビ小説の10作目「虹」(70年)だった。
戦中戦後の混乱期に、病弱な夫と4人の子供を支えた妻かな子(南田洋子)の生きざまを、明るく描く作品だった。
小柳はオーディションに受かり、長女かおる役に起用された。
リハーサル室での初めての台本の読み合わせで、経験したことのない衝撃を受けた。小柳がセリフを言うと「クスクス」と笑い声が起きたのだ。
「私は福岡から宝塚(兵庫・宝塚市)に行ったでしょう。標準語がしゃべれなかったんです。イントネーション(話し言葉の抑揚)やアクセント(単語の発音の強弱)がひどかったんですよ。みんながクスクス笑うので、ものすごく傷つきましたね」。
例えば博多弁の有名な特徴は「セ」が「シェ」になる。先生(シェンシェー)、先輩(シェンパイ)。「何々しません」は「何々シマシェン」となる。今の若い世代にはほとんどないが、当時はまだ普通だった。
「宝塚歌劇団はショーアップされた発音、表現だったので、気にならなかった。でもNHKの朝ドラって日常的な会話で、しかもセリフが長いから、出ちゃったんでしょうね」。
アクセントやイントネーションを徹底的に直した。NHK出版の分厚いアクセント辞典を買った。それを参考に、台本の自分のセリフに全部印を付けた。
オープンリールのテープレコーダーに、印を付けたセリフを何度も吹き込んで、聞き直した。
NHKのニュース番組を必ず見た。1番美しい日本語と思ったからだ。
このころ、ナベプロが新築した東京・国立研修寮で、寮生活を送っていた。
ドラマの収録には電車で通った。収録が夜遅くまで続き、セリフの練習は深夜にまで及んだ。
ドラマの仕事の合間には、歌手デビューに備え、東京音楽学院でのレッスンも続けていた。
「相当気疲れもしていたんでしょうね。(スタジオに)居間とか子供部屋とかいくつもセットが組まれていました。その居間での本番撮影中に、出番のない私は子供部屋の二段ベッドで本当に爆睡したこともありました(笑い)」。
「虹」は1970年4月6日から、翌71年4月3日まで、全310回が放送された。平均視聴率は37・9%、最高視聴率は48・8%を記録した。
デビュー曲「私の城下町」は、71年2月ごろに完成した。日本的な情緒に満ち、郷愁を誘う歌だった。
「マネジャーが『デビュー曲ができたぞ』って、楽譜を持ってNHKのメイクルームに駆け込んで来てくれた。うれしくて、涙が止めどなく流れました」
「虹」の放送終了から約3週間後の71年4月25日、小柳は華々しく歌手デビューした。ナベプロの戦略は完璧だった。
ファンは「(「虹」の役名の)かおるちゃんが歌手デビューするんだって」「かおるちゃん、頑張って」と熱烈に応援した。
「私の城下町」は12週連続でオリコンのシングルチャート1位を独走。71年の年間シングルチャート1位の大ヒットとなった。
「『虹』で発音を直したことが、生かされまくったと思います。インタビューやテレビ番組でお話しする時、ステージであいさつする時など、あのままだったら、私のイメージや歌の説得力にも影響があったと思います」。
「クスクス」の失笑が、スター小柳ルミ子の誕生につながっていた。(続く)
◆小柳ルミ子(こやなぎ・るみこ) 本名・小柳留美子。1952年(昭27)7月2日、福岡市生まれ。宝塚歌劇団の同期は麻実れい、東千晃ら。「私の城下町」で第13回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。4作目「瀬戸の花嫁」(72年)で第3回日本歌謡大賞を獲得。ヒット曲は「京のにわか雨」「冬の駅」「星の砂」「お久しぶりね」「今さらジロー」など多数。映画初出演作「誘拐報道」(82年)で、第6回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞。映画「白蛇抄」(83年)で、第7回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞。NHK紅白歌合戦は71年から18年連続出場。身長157センチ。血液型B。



