「河内の夢も飛んできている!」
「河内の夢か? 豊の意地か?」
アグネスフライト対エアシャカール、河内洋対武豊。着差はわずか7センチ。 00年ダービーの激闘は、フジテレビ三宅正治アナウンサーの実況とともに、今も僕の脳裏に焼きついている。
騎手引退後の河内師に、当時の勝因を聞いたことがある。
「あの時は(レース前に)いろんなことを考えてしまったけど、馬場に出てからは普通のレースと同じようにできた」
では、なぜ雑念を振り切れたのか?
アグネスフライトを手がけた長浜博之元調教師から、定年前に後日談を聞く機会があった。
母のアグネスフローラや弟のアグネスタキオンも手がけた名伯楽は、ダービーの直前に河内騎手へ、こんな言葉をかけたという。
「ヒロシ、“最後のダービー”やから、好きなように乗ってこい」
長い付き合いだった鞍上は当時45歳。長浜師は内心で「今後もうダービーで人気馬に乗ることはないんじゃないか」と思っていた。だから、指示は出さなかった。あとから人づてに「あのひとことで楽になった」と聞いたという。
そんな百戦錬磨の名手も、最後の最後は必死だった。長浜師は「いつもの彼のきれいな追い方ではなく、無我夢中というか、鬼気迫る執念を感じた」と振り返る。ゴール後には「めちゃくちゃな追い方やったな」と笑ってねぎらったという。
トレーナーいわく、馬格に優れたアグネスタキオンが「野武士」なら、小さくとも品のあるアグネスフライトは「貴公子」だった。母や弟と同じく脚部に不安を抱え、再び勝つことはできなかった。それでも、一生に1度の大舞台でかなえた一瞬の夢は、河内師をはじめ、今も多くの人々の心で輝き続けている。【中央競馬担当=太田尚樹】

