3歳馬の頂点を決めるダービー(G1、芝2400メートル=東京競馬場)が26日に迫った。
皐月賞2着馬コスモキュランダ(牡3)で挑む加藤士津八師(39)は、騎手としてかなえられなかった大きな夢に、調教師6年目で手を伸ばせば届くところまで来た。
皐月賞が終わって間もなく、こう語っていた。「あれあれって感じですね。ぽろっと弥生賞を勝って、皐月賞でもいい競馬ができた。チャンスあるかもしれない。運が良ければ勝てるかもしれません」。弥生賞後も皐月賞後も放牧に出さず、手元に置いて細かなケアを行ってきた。いよいよ大舞台に挑む。
「日本ダービーは子供の頃から勝ちたいと思っていたレース。競馬学校に入学する時、卒業する時、騎手になった時、調教師になった時…。ことあるごとに、言っていたと思います」
ホウヨウボーイやシャダイアイバー、アンバーシャダイで次々に大レースを制した加藤和宏騎手(現調教師)の長男として、1985年(昭60)2月2日に生まれた。その年の5月26日、父はシリウスシンボリでダービーを制覇した。生後113日、母と自宅で“観戦”。もちろん記憶にはない。後にビデオで見て「馬が普通に強かったですね」と笑顔で感想を述べる。
「父にあこがれて、父のレースばかり見ていました。昔は札幌よりも函館の方が後に開催されていたので、夏休みは必ず函館で過ごしていました。目標とする騎手は加藤和宏でした」。
最も衝撃を受けたレースは8歳の時の93年エリザベス女王杯。「ベガはベガでもホクトベガ!」の名実況で知られる。また14歳の時の99年東京大賞典ワールドクリークは、大井競馬場で父の雄姿を見届けた。「その年に競馬学校の試験に受かったので、よく覚えています」。
背中を追い続けて、03年に晴れて騎手としてデビュー。まだ現役だった父とも2年間競い合った。1054戦20勝の成績を残して11年に引退。調教師には4度目の受験で合格して、19年に開業した。この時もやはり「日本ダービーを勝ちたくて、騎手では厳しいから切り替えて調教師を目指しました」と話している。
コスモキュランダは新馬戦で12頭立ての12着に終わったが、競馬を使うたびに良くなり、弥生賞でついに覚醒した。皐月賞2着でフロックではないと証明。日課のプール調教を施しながら、先週15日にはウッド5ハロン65秒3、36秒8-11秒4(いっぱい)を計時。併せ馬でしっかり追われ、ほぼ仕上がった。22日の最終追い切りのテーマはオーバーワークは絶対に避けること。ウッド5ハロン69秒1、38秒5-12秒2(馬なり)で、レトロタイプ(3歳未勝利)に楽に先着。予定通りの内容で息を整えた。
「疲れを残さないよう、うまくやれたかなと思っています。以前はもさっとしていたのに、あか抜けて風格が出てきましたね。左回り2400メートルのコーフィールドCを勝っている母(サザンスピード)の良さが出ているので、コースも心配していません」。
シリウスシンボリから39年、決戦の日は同じ5月26日。今度は息子の番だ。【岡山俊明】
◆加藤士津八(かとう・しづや)1985年(昭60)2月2日、茨城県生まれ。03年3月に騎手デビュー、11年12月に引退。JRA通算1054戦20勝。調教師として19年3月に開業。重賞勝利は23年京王杯2歳S(G2)コラソンビート、24年弥生賞(G2)コスモキュランダ。今年は14勝で関東リーディング6位。通算1324戦92勝。(5月23日現在)。
父の加藤和宏師(68)もエールを送る。「ジョッキーになる前から、士津八は調教師に向いていると言っていた。よく頭で考えるタイプだったから。優しい一方で、負けず嫌いの一面もある。調教師としてよく頑張っていると思う。シリウスシンボリの時は26頭立てで、6枠でも馬番は16番だった。今は18頭しかいないから、力通りに決まりやすい。いい競馬ができるのではないでしょうか」。

