06年の皐月賞、ダービー、07年の天皇賞・春秋制覇を果たした名馬メイショウサムソンが26日に死亡した。21歳だった。認定NPO法人引退馬協会が発表した。
現役当時を番記者として取材した伊嶋健一郎記者が悼む。
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メイショウサムソンは時に「野武士」と評されました。
デビューは夏の小倉。皐月賞はキャリア10戦目、ダービーは11戦目。たたき上げの2冠馬でした。
そのレースぶりに派手さはありませんでしたが、先に動いてしぶとくしのぐ。根性があってパワーもある。腹袋がぽこっと出た体形もあって、その馬体はスマートより重厚感、どっしり、という表現がぴったりでした。
ここぞ、に強い馬でした。06年春は名門・瀬戸口厩舎にとって最後のクラシックシーズン。皐月賞は半馬身差、ダービーは首差の接戦をものにしました。
鞍上にいた石橋守騎手(現調教師)は当時22年目のベテランジョッキー。皐月賞は悲願のJRA・G1初制覇となり、ダービージョッキーの称号も得ました。
翌07年2月末での瀬戸口師の定年により、サムソンは高橋成忠厩舎へ。高橋成師は「2冠馬を負けさせるわけにはいかない。毎日、しんどかった」と相当な重圧とともに引き継ぎました。
転厩後の初出走となった4月の大阪杯。最終追い切りには瀬戸口元師も駆けつけて、言いました。「いい体になったなあ」。高橋成師はそのひと言が本当にうれしかったと言います。レースは快勝。続く天皇賞・春も制し、高橋成師はJRA・G1初制覇を遂げました。
その秋、陣営は凱旋門賞遠征へ動き出しました。松本好雄オーナーの夢でもあった挑戦でした。
しかし、美浦トレセンでの出国検疫中に馬インフルエンザが発生。サムソンも陽性となり、遠征断念となりました。
失意の中で陣営は目標を切り替え、天皇賞・秋に挑みます。鞍上は、フランスで初コンビを組む予定だった武豊騎手。尊敬する先輩・石橋騎手から受けたバトンを、見事に勝利という形で成就させました。武豊騎手にとっては「メイショウ」の冠名がつく馬で初のJRA・G1制覇でした。
翌08年の秋、改めて凱旋門賞に挑戦。結果は10着でしたが、大応援団とともに現地で声援を送った松本好雄オーナーは「これだけの人をフランスに連れてきてくれただけでも、サムソンには感謝です」と話していました。
記者も1週間、フランスに出張しました。凱旋門賞取材は、記者にとっても夢でした。学生時代、卒業旅行で訪れたパリで、競馬も開催していないのにロンシャン競馬場(当時)まで行きました。いつか、ここで走る日本馬を取材したい。その夢もかなえてくれました。
メイショウサムソンはいろんな人に幸せを届けた馬だった。そう思います。【中央競馬担当=伊嶋健一郎】

