ヤクルト五十嵐亮太投手(41)が、現役最後のマウンドに上がった。日米通算906試合登板となった。場内にアナウンスが流れると大きな拍手と「ありがとう 53 五十嵐亮太投手」の横断幕などが掲げられた。五十嵐が、笑顔で23年間の現役生活に別れを告げた。

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第一印象から優しい人だと思った。2003年(平15)1月、ヤクルト担当になって最初の仕事が、右手の中指を包丁で切った五十嵐亮太の取材だった。すさまじい出血で2/3が分断された伸筋腱(けん)を手術で縫いあわせた。

切ってしまったのは、洗い物の最中だったという。商売道具の右手の中指の負傷に、チーム関係者からは自己管理を問う声もあがった。だが、五十嵐が台所に立ったのは身重の妻を気遣ってのこと。理由を聞かれた時も冗談が通じる場では「夫婦げんかしたので」などと話したが、まじめな場では「洗い物をやらされていたわけではないですよ」と、夫人に責めがいかないよう話していたのを思い出す。

全治1カ月のケガは、その後の球質には影響なかった。スピードボールを投げられる理由について「僕って人より腕が長いんですよ」と教えてくれた。五十嵐と同じ身長の日本人の平均の腕の長さは57センチだが、60・5センチもあった。160キロ超えを見たくなった。球場によってスピードガンの設置角度が違うのか、数字が出やすい球場と、そうでないところがあった。調べた。「甲子園の右打者のアウトロー」。ボール気味のゾーンが速かったと伝えた。

「やってみますね」。リップサービスで、そう返してきた。たまたまかもしれないが、その直後の甲子園で159キロを出した。目標には1キロ届かなかったが当時の日本最速タイ。原稿が書きやすい、記者にも優しい選手だった。

メジャーに行ってからもヤクルトを気にして石川雅規と毎週のように連絡を取り合っていたこと。遠征先の広島の道ばたで偶然会ったときのウイットに富んだひと言(内容は書けないが…)。何げないことだが、五十嵐の優しさは、周りが応援したくなる中毒性をはらんでいた。それは、第2の人生でも変わらないのだろう。【03年、04年ヤクルト担当=竹内智信】

ヤクルト対中日 8回表、マウンドに上がったヤクルト五十嵐(撮影・たえ見朱実)
ヤクルト対中日 8回表、マウンドに上がったヤクルト五十嵐(撮影・たえ見朱実)
ヤクルト対中日 8回表、高津監督から交代を告げられマウンドを降りるヤクルト五十嵐(撮影・たえ見朱実)
ヤクルト対中日 8回表、高津監督から交代を告げられマウンドを降りるヤクルト五十嵐(撮影・たえ見朱実)
ヤクルト対中日 8回表、高津監督と抱き合いマウンドを降りるヤクルト五十嵐(撮影・たえ見朱実)
ヤクルト対中日 8回表、高津監督と抱き合いマウンドを降りるヤクルト五十嵐(撮影・たえ見朱実)
試合前の「今日のひとこと」で引退試合を迎えたヤクルト五十嵐へメッセージを送るつば九郎(撮影・足立雅史)
試合前の「今日のひとこと」で引退試合を迎えたヤクルト五十嵐へメッセージを送るつば九郎(撮影・足立雅史)
ヤクルト対中日 ヤクルト五十嵐の引退試合を迎え特別バナーが掲示された神宮球場(撮影・足立雅史)
ヤクルト対中日 ヤクルト五十嵐の引退試合を迎え特別バナーが掲示された神宮球場(撮影・足立雅史)