激しい優勝争いのさなか、スマホ画面に「戦力外」の文字が映った。15日午後6時。阪神が育成の奥山皓太外野手(24)と来季の契約を結ばないことを発表した直後。母校静岡大硬式野球部のメンバーの1人が、同部のLINEグループに「奥山 戦力外」のニュースを送った。

「みんな、プロはやっぱりシビアなんだと話していましたね」。奥山の1学年下で硬式野球部の主務を務めた波部俊之介さん(23)は、後輩たちの思いを代弁するように言った。

「デカいし、運動能力もハンパじゃないし。でも、これでもかっていうほど温厚で優しい先輩です」と波部さんは続ける。奥山は静岡大3年時、右肘痛で投手を断念し野手へ転向。当時は波部さんらと同じ「Bチーム」の一員だったが、「奥山先輩だけロングティーの飛距離が別格でした」と回想する。

そして19年ドラフトで、育成2位で指名され阪神に入団。同校初のプロ野球選手で、ドラフト制後では球団初の国公立大出身選手として話題になった。

そんな阪神での2年は一瞬で、苦しい期間だったかもしれない。ドラフト同期入団で育成1位の小野寺暖外野手(23)が支配下を勝ち取った一方、背番号128は最後まで変わらなかった。それでも母校の後輩たちにとって、奥山は間違いなくヒーローだった。

後輩たちが沸いたのは、今年6月12日。ウエスタン・リーグのソフトバンク戦で甲斐野から左前打。本拠地甲子園で、実績十分な右腕からの快音が誇らしかった。今季も代走、代打、守備からの出場が主で、ウエスタン・リーグで33試合に出場し19打数5安打、打率2割6分3厘。ハイライトは決して多くなくても、「2軍戦での活躍も、僕たち後輩は逐一チェックしていました」といつまでも憧れの存在だ。

奥山は「平田監督やコーチ、周囲の皆さんに恩返しができなかったというのがすごく悔しいですし、申し訳ないという気持ちが強いです」と悔やんだ。一方「タイガースのユニホームを着て2年間野球をやれたことは、自分の中で本当に大きな財産になりました」とも言った。今後は未定。誰にでも経験できるわけではないプロ生活の2年間は、必ず次のステージの糧となるはずだ。【阪神担当=中野椋】