甲子園や日本の高校野球に憧れて海を渡って来る留学生野球部員たちが、今年の独自大会でも各地で懸命にプレーしていた。

初戦を突破して校歌を歌う、左から蘇翊、劉郡廷、林承緯主将
初戦を突破して校歌を歌う、左から蘇翊、劉郡廷、林承緯主将


今夏限りでの休部が決まっている共生(岡山)には5人の台湾人留学生がいた。01年に創部され、元ソフトバンク李杜軒、西武呉念庭らプロ野球選手も輩出。だが18年夏の大会後に森下雄一監督(57)が辞意を伝えたことを発端に、19年度からの部員募集を停止することになり、今年は3年生16人だけで戦った。

最後の夏は初戦に勝利したが、24日の2回戦で岡山工に1点差で惜敗し、歴史に幕を閉じた。本来なら三塁を守るはずだった徐若斉(シュー・ローチー)内野手(3年)は3月に母親が死去したため帰国。新型コロナウイルスの影響で再来日できず、残り4人が徐の思いも背負った。彼らの両親も来日できず、スタンドに来ることはできなかった。3番打者として活躍した蘇翊(スー・イー)は19日の初戦後、「試合に出られてよかった。スタンドには弟が来ていました」と日本語で話した。弟の蘇■(スー・ジン)投手(1年)は、尾道(広島)に台湾から1人で留学した。共生はなくなっても、受け皿となる学校があり、台湾の野球少年たちの夢の舞台への挑戦は続く。

15年夏に甲子園出場した大阪偕星学園には、高校球界史上初のドミニカ共和国からの留学生コンビがいる。ダビット・バチスタ・モレノ外野手(2年)、ワーネル・マニュエル・リンコーン・デ・ラ・クルーズ投手(2年)の2人。日本で野球を学びたいと18年11月に来日し、昨年6月に入学した。山本皙(せき)監督(52)は「2人ともドミニカ共和国で言うと普通か、それよりも下くらいのレベル」と話す。この夏、モレノはベンチ入りしたが代打で3球三振。リンコーンはベンチ外だった。

コロナ禍で寮が閉鎖になった時期は、徳島・鳴門市で社会人徳島アストロズなどを運営する鳴門プライベートジムの室内練習場で個人練習を続けてきた。必死で練習する姿には、社会人の選手たちも驚いたという。新チームになった現在、モレノは打撃フォームを改良し、苦手の変化球打ちに取り組んでレギュラー獲得を目指している。投球フォームを固め、来日当初110キロ台だった球速が現在は140キロ台になったリンコーンも投手としての技術を磨く。

飛び抜けた才能がなくても、日本でチャレンジしようとやってくる。プロになれずとも、彼らは3年間の野球部での生活を生かし、日本と各国、地域の懸け橋役になる。【石橋隆雄】

※■は王ヘンに景