掛布は15年間のプロ生活で、2度本塁打王を獲得している。初めてタイトルを獲得した1979年(昭54)は、球団新記録の48本。世界の王貞治や赤ヘルの主砲・山本浩二らと競ってキングに輝いた。

しかし、習志野(千葉)での3年間、掛布は公式戦で1本のホームランも打っていない。自身の記憶でも、「練習試合でも、ほんの数本だと思う」というから、高校時代は、ホームランとは無縁の選手だったのだろう。

今夏、全国の野球ファンの注目を集めた早実・清宮幸太郎は、3年間で100本を超えるホームランを放っている。残念ながら甲子園出場はならなかったが、もし出場していれば、かつてのPL学園・清原和博のように、毎打席ホームランを期待されたに違いない。そして、今夏の甲子園大会全体では大会最多記録を更新する68本もの本塁打が飛び出した。

そんな高校野球を見て、掛布は「自分たちのころなら考えられない野球」という。

掛布 だって、ボクらのころは試合をしていても、味方がホームランを打つことは想定しなかったし、守っていても相手にホームランを打たれることも想定しなかった。つまり、自分たちのころの高校野球に、ホームランというのは想定外のことだった。

決定的な違いは、金属バットが採用されたことだろう。掛布の3年間は木製バットの時代で、「卒業してから金属バットが導入された」。

金属バットの導入は時代の流れで、掛布自身、真っ向から否定するものではない。しかし、自らの打撃を「高校時代に金属バットを使っていたら、プロでは通用しなかったと思う」と明かす。阪神の2軍監督として若い選手の打撃フォームをチェックしていると、「金属バットの弊害から抜け出せない選手が多い」現実に直面している。

掛布 元来、体格的に恵まれていなかったから、いかにして体全体、特に下半身をしっかりと使って打つか、ということを教えられたし、それを会得しなければ飛ばなかった。もし、ボクのような体で金属バットに頼ったバッティングをしていたら、木製バットでプロのピッチャーの球は打てなかっただろう。

練習では、木製以上に打つのが難しいとされる竹製バットで打った。竹製は木製よりも反発力が弱く、さらに芯で捉えないと、両手がシビれてしまうほど衝撃が大きい。だから、掛布は打撃も守備も、「野球の基本が上半身の筋力ではなく、下半身であることを教えてくれた時代に感謝している」という。

ホームランは「野球の華」だ。それは、プロでもアマ野球でも同じで、掛布自身もミスタータイガースと呼ばれるようになってから、「勝敗を決するホームランにこだわった」という。

金属バットによるホームランに沸く甲子園の高校野球を見ながら、掛布は注文をつけた。「バットが金属であれ、木製であれ、遠くへ飛ばすのは下半身ということを忘れないで欲しい」。それは、非凡な才能を持ちながら、伸び悩む若トラを見る立場からの「親心」のようだった。(敬称略=つづく)

【井坂善行】

(2017年9月9日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)