<野球の国から・取材メモ アンパイア・スクール>

 アンパイア・スクールの取材では、いろいろな縁を感じた。審判技術委員の山崎夏生さん(60)は、日刊スポーツOBだ。私は82年4月入社で、山崎さんは直前の81年12月31日付で退社しており、すれ違いだった。83年からは私も野球記者として現場に出るようになったから、審判となった山崎さんのことはもちろん知っていた。

 それからはお互い紆余(うよ)曲折もあり再会したのが今年の3月だった。4月に松坂大輔のデビュー戦を「野球の国から」で連載することとなり、取材で会うことになった。山崎さんが、その試合で二塁塁審を務めていたからだ。当時の話をいろいろ聞くことができ楽しかった。

 そして今回の取材で、またお会いすることになった。山崎さんは10年に引退後、現役審判員の指導役となっていたからだ。北大野球部出身とはいえ、審判としては素人からのスタートだから苦労が多かったようだ。著書「プロ野球審判 ジャッジの舞台裏」(北海道新聞社)には涙あり笑いありの波瀾(はらん)万丈の人生がつづられている。

 その中でも笑ったのが引退当日、かおる夫人とのやりとりだ。「引退試合を終えた晩、とっておきのワインを酌み交わしながらしみじみと語り合いました。なんだかんだと言いながらも、お前はやっぱり俺の一番のファンだったなぁとねぎらったのですが、返ってきた言葉はこれです。『いいえ、あなたは私の一番の不安でした』」。このエピソードはスクールの座学での講話でも披露し、笑いを呼んでいた。

 松坂連載に次いでお世話になったのが、やはり審判技術委員の平林岳さん(49)だ。デビュー戦では球審を務めており、驚異的な記憶力で松坂のすごさを語ってくれた。今回も米国での審判事情について、新聞では紹介しきれないほど多くの情報を教えていただいた。米国では過去に女性審判員がいたそうだ。ただし最高は3Aまででメジャーにはまだいない。もし誕生したら大きな話題となるだろう。

 最後に木内九二生審判員(48)。私は86年10月から山梨支局(廃局)に赴任し、最初の仕事が日大明誠から巨人にドラフト1位指名された木田優夫さん(46)の取材だった。その2年先輩が木内さんで「今でもたまに会っていますよ」とのこと。当時の共通の話題でひとしきり盛り上がってから取材に入った。木内さんは情熱的な人で、さまざまな角度から審判について教えていただいた。もちろん他の関係者みなさんも熱い思いを持ってアンパイアスクールの発展に全力を注いでいることが分かった。

 昨年の第2回では、ただ1人の女性だった木村淳子さん(28)がおもしろいことを言っていた。「テレビで審判の動きを勉強しようと思っても、カメラは選手を追うから審判は画面から消えてしまうんです」と。確かに主役ではない。だが、皆さんも審判の動きも見てはいかがだろうか。違った角度から野球が見えてくると思う。【矢後洋一】