偉大な先輩に投げ勝った! ロッテのドラフト2位関谷亮太投手(25)がオリックス戦にプロ初登板初先発し、7回3失点で初勝利を挙げた。相手の先発近藤一は、日大三進学を決めた憧れの人で、同じマウンドで投げ合う巡り合わせとなった。また日大三でバッテリーを組み甲子園に出場した吉田の好リードもあり、無四球でチームの連敗を3で止めた。
三塁側ベンチ前から見るマウンドには、憧れの先輩近藤一がいた。01年夏。10歳の時、日大三を夏の甲子園初優勝に導いたエース右腕の雄姿に感動し、自宅から車で30分の日大三中に進学した。もちろん日大三高に進むためだ。前日にはあいさつした。「僕にとって一番大きい人。自分と吉田には憧れです」。夏はテレビ観戦だったが、選抜は甲子園まで応援に行った。高校時代にはグラウンドに来た近藤一と対面もしている。その人に勝った。「感慨深かったです」と思いを込めた。
初回から腕を振った。最速は146キロ。1点を失っても動じない。同点に追いついてもらった2回からは、チェンジアップを交えて3者凡退に切る。4点リードをもらった3回は1点を失ったが、カーブも加えて緩急をつけた。高校時代もバッテリーを組んだ吉田のリードに首は振らなかった。「アイツの方が2年先にプロに入っていますから」と敬意を表した。
ポーカーフェースで落ち着いていた。4回はさらに3点を援護してもらったが、2死からの猛攻でベンチ前でのキャッチボールが20分にも及んだ。小林投手コーチから「勝ちを意識するな」と言葉をかけられた。「もっとフワフワするかと思ったけど、京セラは投げたこともあったんで大丈夫でした」と、ペースは崩さなかった。
落合投手コーチからは「2イニング持てばいいよ。6割ぐらい出す気持ちで行け」と緊張感を和らげてもらった。ようやく巡ってきたチャンスだが「実力の範囲内を出せばいい」と余裕をもって臨んだ。3回2死二塁のピンチは、1打席目に中堅フェンス直撃打を浴びた糸井を内角スライダーで空振り三振に切った。勝負どころを抑えて乗った。
伊東監督も合格点を出した。「予想以上に良かった。自信になっただろう。次も投げてもらう。関谷にして良かった」。2軍からはチェンと2人の推薦があり、選んだのが関谷。ローテ入りも期待させる内容だった。【矢後洋一】
▼ロッテのルーキー関谷がデビュー戦を白星で飾った。ロッテの新人で初登板初勝利はドラフト制後(66年以降)、72年倉持、77年仁科、83年石川、08年唐川、12年藤岡に次いで6人目。ドラフト2位以下の入団、社会人出身はともに仁科以来となった。過去5人は初登板時にチームが連敗しておらず、チーム3連敗中に登板した関谷は連敗ストッパーにもなった。
▼甲子園バッテリー 関谷と吉田は日大三で09年夏の甲子園出場時にバッテリーを組んだ。甲子園出場バッテリーがプロでも同じ球団で組んで勝つのは珍しく、過去には熊本工(36年春、37年夏)の川上哲治-吉原正喜が巨人、岡山東(現岡山東商=51年夏)の秋山登-土井淳が、そろって明大を経てから入団した大洋で勝った例がある。
<関谷亮太(せきや・りょうた)アラカルト>
◆生まれ 1991年(平3)5月10日、神奈川県川崎市生まれ。
◆経歴 日大三では09年夏の甲子園に出場。4番を打った吉田とバッテリーを組み1回戦で徳島北を2-0で完封。2回戦は東北に敗れた。明大でリーグ戦通算10勝(3完封)。大学4年時の日米大学野球では11回1/3で17奪三振。JR東日本では14、15年の都市対抗、日本選手権出場。14年アジア大会で中国との3位決定戦に勝利。15年ドラフト2位でロッテ入団。
◆桑田氏仕込みのカーブ 出身のボーイズリーグ麻生ジャイアンツ時代に、会長だった元巨人桑田氏から直接指導を受けた。「自分で投げてみせてくれたのでイメージしやすかった」。最高到達点から打者の手元に落ちるまでの軌道をイメージしている。
◆背筋力NO・1 1月に新人9選手が都内の国立スポーツ科学センターで行った体力測定で、体幹の伸展力525NM(ニュートンメートル)を記録。通常、トップアスリートは体重の5倍といわれており、84キロだから6倍超。背筋の強さを示し「けがをしない体を作る上でも背筋は大事だと思い鍛えてきた」。
◆ラグビー経験 小学校入学前から小4まで麻生ラグビースクールでラグビーもしていた。スタンドオフ。ラグビーをやっている人が少なくてやめた。体のバランス、強さがつき大きなケガをしたことがない。
◆サイズ 180センチ、84キロ。右投げ右打ち。
◆今季推定年俸 1500万円。



