日本文理で甲子園に出場した東北福祉大(宮城)の波多野陽介投手(4年)が、社会人野球の名門ヤマハ(静岡・浜松市)に内定していたことが14日、分かった。高校では2年時の春と夏に2度甲子園に出場し、大学では最速152キロ右腕として鳴らした。高校、大学の先輩で09年甲子園準V右腕・伊藤直輝投手(25)に憧れて、11月の日本選手権を制したヤマハに進み、2年後のプロ入りを実現させる。

 進む道の先には、いつも偉大な先輩がいた。高校、大学と常に伊藤の背中を追い続けてきた波多野は、感慨深げに語った。「自分が中3の時に文理が甲子園で準優勝して、グラウンドにサインをもらいに行ったぐらいに憧れていた。ずっと伊藤さんを目指してやってきた」。3学年上の伊藤と一緒にプレーするのは、波多野が大学1年の時以来。ヤマハでは2度目の「文理コンビ」が復活する。

 伊藤の一声が目の前の暗闇を振り払った。3年秋に先発を任され3勝を挙げ、進路をプロ一本に絞って飛躍を誓った4年春に突然、右肘に激痛が走った。「肘が痛くて、プロ志望届を出せる状況じゃなかった。プロ以外は考えてなかったけど、伊藤さんがまた一緒にやろうって声をかけてくれて、踏ん切りがついた」。波多野と同じく大学時代に故障し、卒業後に復活を遂げていた伊藤に導かれる形でヤマハ入りを決めた。

 その後も痛みが引かず、3年ぶりに出場した6月の大学選手権では痛み止めを飲んで2試合に登板。「ぶっ壊れてもいい覚悟で投げた」と8強進出に貢献した。その反動から、4年秋はわずか打者2人のみの登板に終わった。現在はリハビリ中で「今は春のキャンプに間に合うように準備していて、徐々に良くなっている」と順調に復活の道を歩んでいる。

 いつも投手仲間と競ってきた。高校では右腕・田村勇磨(現BCリーグ新潟)、右下手投げの吉野和也(現早大4年)としのぎを削り、大学ではパナソニック(大阪)内定の城間竜兵(4年=八戸学院光星)と切磋琢磨(せっさたくま)を続けてきた。ヤマハでは伊藤とともに汗を流す。「そういう環境にいたからこそ、ここまで頑張れた。一から鍛え直して、プロにつながるようにやっていきたい」。波多野の剛腕が再びうなりを上げる日は、近い。【高橋洋平】

 ◆波多野陽介(はたの・ようすけ)1994年(平6)4月6日、五泉市生まれ。巣本小2年から野球を始め、五泉北中で軟式野球部に所属し、Kボール選抜で2度全国大会に出場。日本文理では2年春夏に甲子園出場。東北福祉大では1年春からベンチ入りし、通算27試合に登板して9勝3敗、5度のリーグ優勝を経験。180センチ、81キロ。右投げ右打ち。家族は両親、兄、弟、妹、祖父母。血液型AB。