活躍して南阿蘇を元気にするぞ! 阪神ドラフト6位の東海大九州・小川一平投手(22)が1日、南部正信監督と南阿蘇村役場を訪れ、吉良清一村長にプロ入りのあいさつを行った。

南阿蘇村は16年の熊本地震で震度6強を計測し、小川自身も被災した。だがプロへの道を開いてくれた感謝を忘れず「恩返しがしたい」ときっぱり。阪神で活躍し、第2の故郷にパワーを送る意気込みだ。

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熊本・南阿蘇村。大学時代の4年間を過ごした第2の故郷で小川は決意を新たにした。「自分はお世話になった人にとって元気の源。勝ち負けよりも、まずは1軍のマウンドで投げ続けたい」。阪神で大活躍する決意表明だった。

プロ入りの報告で訪れた吉良村長とは初対面。緊張感いっぱいだったが「男前だね。活躍したらきっと人気出るよ! 期待しています」と激励されると、より表情が引き締まった。17年に東海大九州が全日本選手権に出た際は、会議を欠席して応援に駆けつけ、資金援助もしてくれた。町への感謝を胸に、プロ野球選手になる決意を伝えた。

故郷の神奈川から大学に入学間もない16年4月、熊本地震が発生。寮のある南阿蘇村も震度6強を計測し、小川も被災した。「地震が起こったのは夜で何も見えなかった。夜が明けると山が剥がれ落ちていた。びっくりしました」。グラウンドは使用不可で、練習できない時期が2カ月続いた。「まず復興支援を」とボランティアに身を投じた。

自力で歩けないお年寄りを運び、衣服の提供も行った。大声を張り上げ、危険区域への立ち入り禁止も呼びかけた。東京・渋谷のスクランブル交差点で募金協力を呼びかけたこともある。ようやく部活を再開しても、仲間も震災の恐怖体験、トラウマから、震災から1年近くまともに練習できなかった。4年間、決して恵まれた環境で野球を続けてきたわけではなかった。

南部監督は「この環境でもうまくならないかん。グラウンドがなくてもやれるんだと周りに思わせろ」と選手に言い続けた。小川はその言葉を忘れなかった。「(プロ入りは)小川本人がこの環境でも目標を持ってトレーニングをした結果です」。環境に恵まれなくても、考え方次第で成長できる。もちろん小川の次の目標は「恩返しがしたい」。プロへの道を開いてくれた南阿蘇はまだ復興半ば。プロで活躍して、もっと元気を与えることだ。

ドラフト指名された6人中、上位5人は高校生。6位とはいえ、1年目から戦力の期待がかかる。必ず活躍し、次はもっと胸を張って帰ってくる。【只松憲】

◆南阿蘇村 熊本県北東部、阿蘇山・阿蘇カルデラの南部、南阿蘇地域に位置する村。県庁所在地の熊本市から東に約51キロ。中央を東から西へと流れる白川の両側には、住宅地、商業地、耕地の大部分が広がり、展望性のある田園風景となっており、世界最大級のカルデラ阿蘇といわれる。05年に長陽村・白水村・久木野村が合併し、南阿蘇村となった。人口は1万458人(19年10月1日現在)。3年前の16年に熊本地震で震度6強を計測。関連死含め、27名の犠牲者が出た。現在も復興作業が続いている。吉良清一村長。