21年前の1999年5月8日、広島佐々岡真司投手が史上67人目のノーヒットノーランを達成した。この年がプロ10年目。速球派から技巧派への転身が成功。大記録とともに7年ぶりとなる2桁15勝を挙げた。通算成績は570試合に登板し138勝153敗106セーブ、防御率3・58。今季から広島の監督を務める。

【復刻記事】

広島佐々岡真司投手(31)が、地元広島での中日8回戦でノーヒットノーランを達成した。首位中日打線を全く寄せ付けず103球で6奪三振。出した走者は1死球と、2つの失策だけだった。プロ10年目での快挙達成だった。ヒーローインタビューでは感極まって言葉を詰まらせた。昨年、阪神川尻が同じく中日戦で達成して以来プロ野球史上67人目、78度目の大記録となった。

注文通り117キロのカーブを引っ掛けさせた。李の打球は遊ゴロ併殺。103球でノーヒットノーランの達成だ。佐々岡は一瞬ガッツポーズ。次には律義な一面を見せる。帽子を取り、ナインに向けて深々と一礼。野村が、江藤が、みんながマウンドに駆け寄る。あっという間に佐々岡はもみくちゃになり、手荒い祝福を受けた。

「7回が終わったところで意識しました。でも、思い切って自分の投球をしようと…。それより、優勝したみたいだね。みんなが飛んできたからビックリした。みんなのおかげだね」と声を詰まらせるシーンもあった。

1死球と失策の2走者を出しただけ。打者28人で首位を行く強竜打線を料理した。最速143キロの速球にスライダー、カーブ、今年から多投するシュートを織り交ぜたコンビネーションが最後までさえわたった。

アクシデントが続いた。3月28日、37・2度の微熱が発生。それが原因で開幕に出遅れ、開幕投手の座もミンチーに奪われた。前回登板した4月30日の阪神戦(甲子園)では4回表、打席で左足首をねんざし、その裏から降板した。

佐々岡は「今年はいろんなことがあるね」と苦笑い。だが、ノーヒットノーランという「思わぬ事態」なら大歓迎だ。しかも5試合に投げて無キズの4勝目(3完投うち2完封)。ハーラートップで、なおかつ防御率も1・02で1位に君臨する。タイトルを総ナメにした1991年(平3)以降、年々影が薄くなった。今年32歳。速球派からの脱皮をテーマに掲げていた。

「変化球が逃げの投球というわけじゃない。変化球でも攻めの投球はできる」。速球派は速球にこだわりがあるがゆえに投球スタイルの改革は難しい。しかし、心の葛藤(かっとう)を乗り越えてモデルチェンジを果たした。この日の103球のうち、直球は半分以下の37球。しかもここまで被本塁打はゼロ。規定投球回数到達者でアーチを浴びていないのは佐々岡1人だ。

「9回は球場全体が違う雰囲気で緊張した。僕には縁がないのかなと思っていたのにネ」。91年、西武との日本シリーズ第4戦(広島)で8回1死までは経験したが逃していた。

佐々岡の快挙で首位中日に5連勝。最下位脱出。達川監督も「ササ(佐々岡)はキャンプから意欲的だった。304球、302球。あれだけ投げたのはバランスがいいということ。きょう(8日)はササだよ」と興奮しながら絶賛した。エースの完全復活を告げる大記録とともに「コイの季節」が始まる。

<ノーヒットに抑えられた中日のスタメン>

1(左)李

2(遊)福留

3(中)関川

4(三)ゴメス

5(二)立浪

6(一)山崎

7(右)井上

8(捕)中村

9(投)サムソン

<広島スタメン>

1(遊)野村

2(二)笘篠

3(中)緒方

4(一)江藤

5(左)金本

6(右)前田

7(三)ディアス

8(捕)西山

9(投)佐々岡

◆優子夫人 子供と球場で見ていました。投げても投げても勝てない時期に「メンタルトレーニング」という本に巡り合いました。強い気持ちが成功につながる、という内容に触れ、主人にも読んでみたらと勧めました。今では先発する前にそばに置き、励みにしているようです。

◆広島外木場2軍投手コーチ(完全試合を含めノーヒットノーランを3度記録) 先発で一番苦しい7回を超えた時にやるんじゃないかと思った。僕の時代とは違うが、記録とは実力だけでなく運も必要なもの。だからこそ自信につながる。佐々岡もこれで自信をつけて乗っていってほしい。

◆広島大野投手コーチ すべて良かった。何も言うことはない。140キロ、130キロ、120キロ台の球、すべてに特徴があって良かった。最高の投球だった。

<敗れた中日は…>

左翼ポール際の通路から星野監督が球場を出ようとした時、頭上を何と硬球がかすめた。観客から投げ入れられた“凶器”に悔しさを我慢していた星野監督が爆発した。「ケガでもしたらどうするんや!」。警備員を怒鳴りつけ、ブチ切れ状態でバスに乗り込んだ。昨年5月26日、星野監督の故郷倉敷で阪神川尻にノーヒットノーランを達成された。あれから1年もたたないうちに味わう屈辱だ。「1本ぐらい出ると思った? どうせ点が取れんのやったら、そのまま終わった方があっさりしとる。どっちが貯金があるチームか分からん」と自ちょう気味に話した。

◇李「変化球とコントロールがよかった。(昨年に続き、日本で)2回もやられるなんて…。何と言ったらいいのか」

◇立浪「最初は真っすぐが速いなと思っていたが、次の打席からそうでもなかったんですが…」

◇ゴメス「内外角をうまく使われた。こういうときはたまにはあるよ」

◇福留「こっち(中日打線)が捕らえ切れなかったんじゃないかと思う。自分としてはタイミングは合っていた。今度やり返すだけです」

◇関川「打てないんだからそう(下降気味と)言われるんでしょう。次にやり返すだけです」

▼佐々岡のノーヒットノーランは、広島では1965(昭40)68、72年外木場(3度)71年藤本に次いで3人目の快挙だ。佐々岡が許した走者は、死球と2失策で出した3人。1リーグ時代には失策が2個以上でノーヒットノーランを記録した投手が4人いるが、2リーグ制後に2失策で無安打無得点は70年5月18日の渡辺(巨人)に次いで2人目の珍しいケースとなった。また「四球0」も珍しく、完全試合を除くと、こちらは48年真田(大陽=1失策)95年ブロス(ヤクルト=1死球)に次いで3人目。

<とっておきメモ>

佐々岡はオフの間ダイエットに専念した。沢村賞、最多勝をはじめタイトルを総ナメしたころは83キロも、昨年は最大91キロまで増えた。食事制限はしなかったが、走り込みとウエートトレに専念。自主トレ中には「1日に5回ぐらいは体重計に乗ったよ。朝起きてすぐ、朝メシのあと、昼…。1日に5回も測るんだから、神経質になっていたのかねえ」と苦笑い。おっとりした性格の佐々岡が減量に躍起になった。復活になりふり構っていられなかった。

そのおっとり加減から、頼りないイメージもある。キャンプ前、大野投手コーチから「もっと態度、発言で若手を引っ張ってほしい」と苦言を呈されたこともある。その佐々岡、これまでの思い出の品物を自宅でコレクションしている。数々のトロフィーや、ドジャース時代の野茂と交換したユニホームなどなど。「最近、あんまり増えなくて…」と嘆いていたが、この日のウイニングボールは最高の宝物になる。

※記録と表記などは当時のもの