11年夏の甲子園で秋田県勢14年ぶりの初戦突破を果たし、能代商(現能代松陽)を初の16強に導いたエース左腕が故郷のために奮闘している。1完封を含む甲子園2勝を挙げた保坂祐樹さん(26)は現在、秋田県庁の職員。電話取材で当時の思い出を語ってもらった。

2度の甲子園で経験した財産が、今につながる。2年生エースで初めてマウンドに上がった10年夏は、初戦で鹿児島実に2回5失点KO。チームも0-15と大敗した。「大舞台でこれ以上、痛い思いはしないと思います。甲子園が未知の領域すぎて、全然想像もつかないままマウンドに上がってしまった。かなり落ち込みました」。新チームになっても気持ちの整理ができなかったが、工藤明監督(44)の言葉で立ち直ることができた。「常に『全国を意識しろ』と言われて、自然に意識するようになった。冬の投球練習でも満足するまで投げ込むようになった」と、雪辱に向けて徐々に闘志を燃やした。

迎えた2度目の甲子園。1回戦で同じ鹿児島勢の神村学園に5-3で競り勝ち、県勢の夏連敗を13で止めると、2回戦ではドラフト1位で巨人入りした英明(香川)松本竜也との左腕対決を2-0で制した。7安打111球の完封劇。74年の金属バット採用後、試合時間1時間21分は85年夏の東洋大姫路-高岡商戦に並ぶ甲子園最短時間だった。

ただ、「今でも一番鮮明に覚えている」と振り返ったのは、如水館(広島)との3回戦だ。再三のピンチをしのいだが、1点リードで迎えた12回裏に2-3でサヨナラ負けした。「人生で延長戦をあまり経験したことがなかった。11回からどこまで続くのかと思っていた」。179球目の直球で詰まらせたが、三遊間を抜かれた。マウンド上で膝から崩れ落ち、「ポジション的に空いていたんですけど、『サード捕れない?』っていう意味で膝をついてしまった(笑い)。みんなフラフラの状態でしたね」と懐かしそうに話した。

秋田に戻ると、多くの県民から健闘をたたえられた。「頑張って良かった。社会人になったら、秋田に恩返しするために働こうと強く思う瞬間でした」。進学した中大では準硬式でプレー。教師で指導者の道を目指したが「野球を教えたいという理由だけで、監督はできないと思った。ただ秋田に恩返しする気持ちは変わらなかった」と自分を見つめ直し、県全体に貢献できる県職員を志した。「10、11年の夏はつながっている。あの逆境を乗り越えられたから今の自分がある。11年も打ち込まれていたら、自信を強く持てない大人になっていたかもしれません(笑い)」。2度の大舞台が人生にも生きている。

今は故郷で充実した日々。平日は仕事に打ち込み、休日は県庁内の軟式チームで野球を楽しんでいる。「居心地がいい。職場も一緒で楽しい」。東北3大祭りの「秋田竿燈まつり」が新型コロナウイルスの影響で中止となり、一県民として「毎年行っていました。秋田に多くの人が来てくれるイベントでもあるので、中止は少し寂しいですね」と残念がったが、これからも故郷を思い恩返しを続けていく。【佐藤究】

◆保坂祐樹(ほさか・ゆうき)1993年(平5)12月7日生まれ、秋田県能代市出身。小4から野球を始め、能代商では2年春からエース。中大では準硬式野球部に所属し公式戦7勝を挙げた。16年から秋田県庁職員。昨年から地域振興局に配属され、会計業務を行っている。左投げ左打ち。173センチ、62キロ。