運命が確かに変わった。大山はこの夏、初選出された大学日本代表で4番を任された。左打者が多い代表メンバーのなかで、貴重な右の長距離砲。大学代表の横井人輝監督(54=東海大)が「(直前の代表合宿で)目立った活躍をしてくれた」と抜てきした。日米大学野球選手権大会は全5試合で4番に座り、優勝に貢献。物おじしない、思い切りのいい打撃は明らかに目立っていた。

白鷗大の黒宮寿幸監督は振り返る。「うちみたいな大学は“看板”がない。みんなが評価する投手から打てたというのは、大きかったんじゃないかな」。1年春からリーグ戦に出場し、打点王2回、本塁打王1回。今春リーグで新記録の8本塁打を記録した。地元では知られる存在ではあったが、実際に代表合宿では紅白戦で東大の最速150キロ左腕宮台から二塁打を放つなど毎試合のようにヒットを重ねた。

徹底したスパルタ指導が大山を変えた。入学時に大山を見た黒宮監督(当時助監督)は「声も出さない、全力疾走もしない、タラタラしてね。必死さがないんです」と許せなかった。そこで大山に「声を出せ!」「(守備の時は)膝を曲げろ!」「喜怒哀楽を出せ!」と3つの条件を出した。たたき込まれたのは技術ではない。野球に対する必死さだ。

試合でも同じだった。関甲新学生野球リーグの公式戦が行われる白鷗大グラウンドの両翼は98メートル。フェンス直撃の長打を放つと、黒宮監督に呼び出された。「なぜあと3メートル飛ばせなかったんだ? なぜフェンスを越えることが出来なかったんだ?」。5打数4安打と大活躍だった試合でも呼び止められた。「なぜあと1本打てないんだ? それだったら5タコの方がいい」。もっと貪欲になることを求められた。

9月25日。同リーグでしのぎを削る上武大に5-6で敗れ、優勝が遠のいた。最後の打者は4番大山だった。スライダー2球で追い込まれ、最後は直球をハーフスイングで空振り三振。その瞬間、大山の目から涙があふれた。グラウンドに立つと目の色が変わる。感情がほとばしる。物静かだった高校生は、熱い男に生まれ変わっていた。