日本ハムの背番号「35」の歴史を振り返ると、引退後も多方面で活躍している人が多い印象だ。

記憶に新しいのが斎藤佑樹の同期で、英語の教員免許を持っていた榎下陽大。入団当初の11年から現役引退までの7年間、この番号を背負った。鹿児島工では夏の甲子園4強、九産大でもリーグ通算31勝を挙げ、ドラフト4位で入団。プロ入り後は16年の16試合登板が最多と思うような成績を残せなかったが、引退後は英語力を生かしてチーム統轄本部国際グループで活躍中だ。

最も長く身につけた今関勝(98年に勝一に改名。93~00年)は、96年に前半戦だけで10勝を記録。引退後は青森県弘前市職員として地方創生に携わるなどした後、19年からは日本野球機構(NPB)に所属している。大洋(現DeNA)から交換トレードで移籍し、82年から7年間、背負った岩井隆之は、引退後、数球団で敏腕スカウトとして名をはせ、日本ハムでは中島卓也を見い出した。