阪神岩田稔投手(37)が1日、兵庫・西宮市内のホテルで現役引退会見に臨み、プロ16年間を振り返って号泣した。一問一答は以下の通り。

  ◇  ◇  ◇

-16年間お疲れさまでした

岩田稔 ありがとうございました。

-ごあいさつを

岩田稔 16年間、本当にありがとうございました。「16」という数字を見ると長いんですけど、僕の中ではあっという間に時間が過ぎた16年でした。

-決意した今の気持ちを

岩田稔 肩の荷が下りた感じです。小学校1年生から野球チームに入って今まで32年間、駆け抜けてきました。楽しいこと、苦しいことたくさん経験させてもらった野球に感謝です。

-引退決断の経緯を

岩田稔 今38歳の年なんですけど、4、5年前から「そろそろかな」という思いもありながら、「まだまだいけるぞ」「負けへんぞ」という思いもありながら、過ごしてきました。コロナに今年の最初にかかってしまって、そこから思ったより体は元気になったんですけど、気持ちの方がそんなに昔ほど燃えてくるようなものがなくなってきていて。自分の気持ちに負けたというか。そのタイミングで引退の方を決意しました。

-気持ちを奮い立たせようと葛藤していた時期もあったと思う。そこからどういう時間だったか

岩田稔 そこからはめちゃくちゃ長かった感じがします。

-ユニホームを脱ぐと決めたタイミングは

岩田稔 この気持ちでタイガースのユニホームを着てプレーしているのは失礼だと思ったのでユニホームを脱ぐことを決めました。

-縦じまのユニホームは大きなものか

岩田稔 大阪で育って、高校も大学も大阪でお世話になっている。その中で関西の球団と言えばタイガース。縦じまのユニホームを着られて、本当に幸せです。

-やりきったか、まだまだか

岩田稔 やりきりました。

-引退を最初に伝えたのは

岩田稔 妻です。そして、大切な家族に…(涙で声を詰まらせ)引退という言葉を伝えました。

-奥様やお子様の反応は

岩田稔 妻は僕が1型糖尿病ということもあって、食事の面であったり生活の面を管理してくれていたので「本当によくやってくれた」と言ってもらいました。

-お子様は

岩田稔 うちは子供が僕をいじってきたりとか、それくらいする楽しい家族なので、「もうやめんの? 」という軽い感じで話してくれました。

-家族にメッセージを

岩田稔 本当に感謝の言葉しかないですね。

-矢野監督にどう報告した

岩田稔 二神広報の方に電話して、電話のつながる時間を聞いて、連絡させてもらったんですけど、矢野監督には「一緒にプレーもしたし、本当にお疲れさま」ということを言っていただきました。

-プロ16年はどうだった

岩田稔 16年もよくやってこれたなと思いました。

-09年WBCの経験も大きかったか

岩田稔 あんな大舞台の日本代表に入れるなんて全然思っていなかった。そういう経験ができて、世界一ということと優勝したことの喜びと、シャンパンファイト、楽しかったです。

-16年で60勝

岩田稔 全然少ないなと思います。あれだけ先発させていただいて、そんなに結果も残せなかった。2ケタも1度だけしかなかったんで、そこはもっとできたのかなと思ったりもします。

-60勝を振り返って印象に残っているものは

岩田稔 最初の初勝利からとても印象に残っているんですけど。僕の中では09年9月9日、甲子園での中日戦です。その日の登板前に長女が生まれて、長女が完封で勝たせてくれたのかなと、とても印象深い試合でした。

-お立ち台にも

岩田稔 うれしすぎて、ただ、その時はそこで言う言葉がちょっと恥ずかしくて、という思い出があります。

-高校時代に発症した1型糖尿病と闘った。どういう思いで病と闘っていたか

岩田稔 高校生の時に1型糖尿病という病気になって入院したり、いろいろ大変だった時もあったんですけど、病院の先生から「病気でも何でもできるよ」と教えていただいて。元巨人のビル・ガリクソンという投手の本を読んで、自分もやっていけるわという思いにさせてもらいました。そして大学に進学して、タイガースにお世話になる時に、入団の時にも言ったんですけど、1型糖尿病の患者の希望の星になれるように、頑張ることができたかなと思います。

-希望の星になりたいという思いが原動力に

岩田稔 そうですね。それがないとこんなに長いことはできていないです。

 

【1型糖尿病患者・家族の支援団体「日本IDDMネットワーク」井上龍夫理事長からのメッセージが読み上げられ】

 

-メッセージをうけて

岩田稔 こういう活動をさせてもらったんですけど、なかなか1人でできることではない。たくさんの方の支えがあってこういう活動や基金を立ち上げることができたので、携わってくれた人に感謝しかないです。まだこれから次のステージに移行する時も一緒に頑張っていけたらなと思います。

-1型糖尿病と闘う人にメッセージを

岩田稔 僕がプロ野球の世界で16年も勝負できたんで、1型糖尿病でも何でもチャレンジできると思います。頑張ってほしいです。

-縦じまを脱ぐ決断をした。これからはどういう風に生活を

岩田稔 これからのことはまだ分からないので、ひとまずゆっくりしながら考えていきたいなと思います。

-16年ぶりの優勝へ、戦う選手へメッセージを

岩田稔 僕が入って1度も優勝経験がない現状ですけど、この16年という月日の中でいろんな選手が優勝へ向かって突き進んでくれている。今こうして優勝争いをしてるのが、すごい僕自身も楽しませてもらっている。そこの戦力に少しですけど加われたりして…ぜひ優勝してほしいです。

-ファンにメッセージを

岩田稔 16年間、熱い声援をありがとうございました。引退しますが、また新しいことに僕もチャレンジしていくので、引き続き声援、応援のほどをよろしくお願いします。

-節目で涙があった。今回の涙にはどういう気持ちがあったのか

岩田稔 そうですね…(涙で声を詰まらせ)…自分としては、よくやってきたと思います。こうやって長いことできたのも家族の存在があったからです。

-大阪桐蔭西谷監督、スカウトの山口高志さんにはどう報告を

岩田稔 西谷先生に関しては「報道で見たよ。ようやったな。正直、病気もあったしこんなに長くやってくれると思わんかった。大万歳や」と言っていただきました。この世界にスカウトして頂いた山口さんも同じように、病気を持っていたのにスカウトしてタイガースにドラフトで指名してくれて、僕自身もすごく山口さんに対して感謝の気持ちが強いんですけど、それでも「おまえのおかげで楽しませてもらったわ」と言っていただいたり、「長い間お疲れさま」と言っていただきました。

-1型糖尿病もそうですし、手術もした。ファンも勇気をもらった。プレーで見せたかった思いは何か

岩田稔 入団する時に「希望の星になりたい」という言葉を発したので、その言葉に負けないように「諦めない」という気持ちを見せて行きたかった。16年間そういうのが少しは証明できたのかなと思います。

-プロで心に響いた先輩の言葉などあれば

岩田稔 たくさん連絡させていただいたんですけど、みんな「ほんまに引退するんか」という言葉をかけていただいたり。(大阪桐蔭で同級生の)西武のおかわり剛也(中村)には(プロに)入って16年電話とかしたことなかったんですよ。言葉にあまりちゃんと思いは乗せられなかったかもしれないですけど、「先に引退するわ」と言ったら「お疲れさん」と言っていただいて。あいつもすごい成績を残してくれているし、どでかいホームランも打たれましたし、良い思い出です。